近ごろよく聞く「ルッキズム」。
これは外見にもとづく差別や偏見のことで、身体的な特徴から人をバカにするようなことをいう。
そんなルッキズムの風潮で、最近の日本のお笑いでは「デブ」「ハゲ」「ブサイク」など見た目で人をいじることがむずかしくなってきた。
いまの時代、自分やパートナーであっても、身体的な特徴をネタにして笑いをとる芸はリスクが高いし、テレビ局側もなかなかOKを出しづらい。
でも、ネガティブな特徴と反比例するように、美女や美人に対しては見方の範囲が広がって、いろんな表現ができるようになっている。
いまの日本人の価値観だと微妙な平安時代の美人さん
今月12月2日は「美人証明の日」。
日本で唯一、美人を証明するお守りの「美人証明」を発行している栃木県足利市の「美人弁天」によると、「美人」とは外見的な美しさではなくて、全ての女性が持つ「心のやさしさ」を指す。
どこからも批判されないように、ポリコレ棒でポカポカ叩かれないように「美」を定義するのなら、体重や年齢、外見などに関係なく、誰にでも当てはまるようなアイマイなものになる。
でも、「みんな美人」という安全運転はツマラナイ。
さて視点をアメリカに移すと、いまディズニーの最新の『美女と野獣』が話題を呼んでいる。
これまで美女の「ベル」はスリムで小柄な白人女性が演じていて、ゴツイ怪物との対照的な組み合わせがお約束だった。
それが現在(もう終わったも)、米メリーランド州で上演されているディズニーの新作『DISNEY’S BEAUTY AND THE BEAST』に出てくるベルはまるで違う。
ここでの「美女」はかなりふくよかな黒人女性だ。
リアルの彼女はジェイド・ジョーンズという女性で、LGBTのどれにもにあてはまらない性的マイノリティーの「クィア」を自称している。
今回の『美女と野獣』の監督を務めたマーシャ・ミルグロム・ダッジは、ベルをプラスサイズの大柄な女性にすることで、すべての少女が自分もプリンセスになることを夢見ることができるようになると考えたとか。
一方、自分がディズニープリンセスを演じるとは、まったく想像していなかったというジェイド・ジョーンズさんはベルについて、彼女は賢くてユーモアがあり、創造的で情熱的で自分はそれをこのキャラクターにもたらすことができると思うと抱負を語った。
原作の『美女と野獣』は18世紀にフランス人によって書かれた作品(ラ・ベルはフランス語で「美女」という意味)だから、今回のベルはいろいろな意味で激変した。
こうした”美”の考え方に共感すれば新しいコンセプトの『美女と野獣』を見ればいいし、そうでなければ過去の作品のネットを探せばいい。
ちなみに日本のネットの声はかなり厳しい。
女性の美しさへの見方は本当にいろいろあって、ことし3月8日の国際女性デーにはこんなファッションショーが開かれた。
フランス語だからこれはフランスで行われたと思われ。
もう何だかよくわからん。
少し前にクリスチャン・ディオールが「美しい中国女性」の写真を公開すると、それは中国人の美意識に激しく反していたから、「幽霊のような写真」、「女性を意図的に醜く見えるようにした」といった批判が続出。
でも、ディオールが大事な消費者にケンカを売るわけがないから、これをホンキで美人や美女と考えていたはずだ。
こう見てくると「美人証明」を発行している「美人弁天」のいう、全ての女性が持つ心のやさしさをもって「美人」とするのはただの安全運転ではなくて、グローバル時代の最新の美の定義のように思えてくる。
そのうち「デブ」「ハゲ」「ブサイク」が美人・美男子の条件になる日がくるかも。
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