日常生活で見られる日米の価値観の違い
ある日本人がアメリカのスーパーで、ある光景を目にして驚いた。レジ待ちの列に並んでいる客が、買い物カゴを足元に置いて、それを足で蹴りながら前進していたのだ。
彼はアメリカでそんな光景を何度も見た。
日本人の彼の感覚では、周りから「行儀が悪い」「だらしない」と思われそうで、とてもそんなマネはできない。
彼はアメリカに住んでいて、ここには他人の目を気にせず、自分が楽な方法を優先する「自由さ」があると実感した。
日本人がアメリカに行くと、価値観の違いから「ナニソレ?」と思うことはよくある。アメリカ人が日本に来れば、カルチャーショックを受けることは避けられない。
これから、スーパーでカゴを蹴飛ばすことよりも、もっと深くて重要な「日米の価値観の違い」について見ていこう。

地蔵菩薩が賽の河原にいる子どもを救っている。
「罪の文化」と「恥の文化」
日本とアメリカの考え方を比べるとき、大きな分かれ目になるのが「宗教がどれくらい生活に入り込んでいるか」だ。
アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは著書『菊と刀』の中で、アメリカを「罪の文化」、日本を「恥の文化」と呼んだ。
◯罪の文化: 絶対的な神との約束(契約)を守ることを最も大切にする。神の教えに背くことは「罪」であり、誰も見ていなくても神に対して正しくあろうとする。
◯恥の文化: 世間や周りの人から笑われたり、バカにされたりすることを「恥」として避ける。良いか悪いかの基準は「他人の目」にあることが多い。
日米の価値観の違いを考えるとき、「宗教の存在感」は欠かせない要素だ。アメリカでは今でも、キリスト教の価値観が人びとの考え方や政治的な判断に強い影響を与えている。
一方、日本では、神道や仏教は日常生活に溶け込んでいているものの、人びとの政治的主張にほとんど影響を与えていない。
日本人は世間体を気にするが、アメリカではその傾向が弱く、人びとは自分のやりたいことをする。アメリカでは伝統的に、道徳的な判断基準が宗教的な教えにあったから、そこに触れないことなら、社会的に許容されるのだろう。
水子供養:アメリカ人が驚いた日本の宗教観
宗教観の違いがはっきりと表れるのが「亡くなった子供の魂」への考え方だ。
10年ほど前、日本に住んでいたアメリカ人女性をお寺に案内した。彼女は、以前はキリスト教を信じていたが、その時は実質的には無宗教だった。
彼女が大きなショックを受けたのが「水子」の存在だ。
流産や中絶などによって、この世に生まれることのなかった子を「水子」という。この名称の由来は、その子を川に流した水葬の風習とか、「見ず子」(この世を見ることができなかった)にあるとされる。
日本の伝統的な考えでは、親より先に死んだ子は親を悲しませた「親不孝」という罪を背負い、三途の川にある「賽の河原(さいのかわら)」へ行くとされている。
そこには鬼がいて子どもに苦痛を与えるので、賽の河原は一種の地獄だ。
この話を聞いたアメリカ人は「それはおかしい! あまりに理不尽だ!」と怒り出した。
親より先に亡くなった子どもはどうなるのか?
彼女の考えでは、その子は何の罪も犯してなく、魂は清浄なままだから必ず天国へ行く。キリスト教では中絶は「罪」と考えられているから、もし地獄へ行くなら、それは母親のほうだという。
彼女は「子どもに罪がある」という発想にショックを受けたが、水子供養の考え方を全否定することはなかった。それなりの「良さ」も認めた。
この一件で、自分は無宗教と言うアメリカ人でも、キリスト教が価値観や考え方に大きな影響を与えていることを実感した。
宗教の存在感がつくる国家のあり方
「信教の自由」を求め、ヨーロッパから移住してきた人たちによってつくられたのがアメリカだ。それが建国精神になっている。
現代のアメリカは政教分離を原則としているが、大統領は通常、就任式で聖書に手を置き、「So help me God(神に誓って)」と宣誓する。
アメリカでは今でも宗教(キリスト教)が政治や法、社会正義を判断する「重要な尺度」として機能している。
それに対して、日本には無宗教を自認する人がとても多く、国として宗教色はとても薄い。国民は神道や仏教を尊重しているから、神社の鳥居にぶら下がって遊ぶ人間を許さない。しかし、その感覚や価値観が国の政治を動かすことはない
アメリカを分断する中絶論争:「ロー対ウェイド判決」の衝撃
現代のアメリカで、政治的に国を二つに分けるほどの激しい争いになっているのが「人工妊娠中絶を認めるかどうか」だ。
キリスト教考え方からすると、生命は神によって与えられた大切なものだから、人がそれを「消す」ことは大罪になる。
その一方で、女性の権利を守る観点から、中絶を認めるべきだと主張する人も多い。
一般的に、保守的な人たちは中絶を否定し、リベラルな考え方の人たちはそれを支持する。
1973年、「ロー対ウェイド判決(事件)」で、アメリカの最高裁判所が「女性が中絶を選ぶ権利」を認め、社会に歓喜と絶望を与えた。
リベラル派にとっては、女性の権利や選択を尊重する画期的な判決だったが、保守的なキリスト教勢力にとっては「殺人」を憲法で認めたことになるため、大反発した。
米国民にとって重要な価値観が真っ向から衝突し、この最高裁判所の決定はアメリカ史上、最も論争を呼んだ判決の一つとなった。
「The Supreme Court’s decision in Roe was among the most controversial in U.S. history.」(Roe v. Wade)
しかし、この判決で中絶論争は「終わり」にはならなかった。
リベラル派と保守派による「絶対に負けられない戦い」となり、激しい対立や分断はその後もつづいた。
2022年に、「大どんでん返し」が起こる。
今度は、ドブス対ジャクソン女性健康機構事件に対する判決で、最高裁はロー対ウェイドの判例(憲法上の中絶の権利)を事実上、無効にする判断をくだしたのだ。
「中絶を禁止するかどうかは、それぞれの州で決めていい」ということになり、アメリカは社会は大混乱に陥った。
アメリカ社会の分断はより深刻になり、今でも選挙では「中絶問題」が最大の争点のひとつとなっている。
宗教が政治を動かすアメリカと、世俗的な日本:選挙に見る価値観の差
アメリカでは「宗教が政治を動かす」状況が続いている。国政選挙では、キリスト教の教えに基づく「命をどう考えるか」が、当選するかどうかの最大級のポイントになる。
一方、日本の選挙で中絶の問題が国を揺るがすような争点になることはない。これは日本人が命を軽視しているわけではなく、中絶を「宗教的な罪」と考える文化がないからだ。
そもそも日本では、基本的に宗教と政治は切り離されているから、選挙で宗教的な価値観が大きな争点にはならない。
今、全国で衆議院選挙(2月8日に投開票)の活動がおこなわれている。各政党は経済政策・政治改革・外交・安全保障などについて公約を訴えているが、仏教や神道の考え方を支持するもの、それに反するものは見当たらない。
アメリカと違って、日本では宗教の教えに熱心な人は少なく、政治に宗教が入り込むことを嫌がるからだろう。
先ほどのアメリカ人は日本の「水子」の考え方を知って、複雑な気持ちになった。しかし、彼女は中絶を女性の権利として支持していたから、宗教的な価値観が政治的闘争の原因にならない日本の社会が「うらやましい」とも思った。

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