数年前、知り合いのインド人カップルが広島を旅行したと言うので、どこに行ったか聞いたら、訪広外国人の定番、宮島と原爆資料館だった。
彼らは資料館でさまざまな写真を見て原子爆弾の威力を知ったり、理不尽に命を奪われた人の記録を読んで心を痛めたりした。しかし、廃虚となった後、戦後の復興を経て大都市になっている今の広島を見て、日本人の力強さを感じたという。
あるエジプト人は同じ理由で感心し、広島を「フェニックス(不死鳥)」と表現した。
このインド人夫婦は原爆資料館を訪れて、圧倒的な死と破壊をもたらす核兵器の恐ろしさを改めて理解できたと話す。
しかし、彼らに共感できたのはそこまでだ。
そもそもインドは核保有国で、それは「核のない世界」を目指す広島や日本の理想と矛盾している。それにインドは毎年8月、国会で首相や議員が広島と長崎の犠牲者に黙とうを捧げている。こんな国は世界で日本とインドしかない。
そんなことで、核を保有していることについてどう思うか尋ねると、夫はこんなことを言う。
「インドでは絶対に、あんな恐ろしいことを起こしてはいけない。平和は何よりも重要だから、今のわれわれには核兵器が必要だ。」
ここだけを聞くと、「ちょっと何言ってるか分からない」となるのだけど、「インドとパキスタンとの対立については君も知っているだろ?」と言われ、話が見えてきた。
1947年にイギリスから独立した直後、インドとパキスタンのあいだで戦争が発生し、1965年にも戦争が行われた。
第一次、第二次につづき、きょう12月3日は1971年に、東パキスタンの独立が原因となって、印パ戦争のラウンド3がはじまった日だ。
このとき、東パキスタン(現在のバングラデシュ)が西パキスタン(現パキスタン)から屈辱的で差別的な扱いを受けていて、それが我慢の限界を超えて民衆の怒りが爆発する。
インドは東パキスタンを支援することを決めて軍を派遣し、パキスタン軍と戦って、バングラデシュの独立につながった。
戦後に3度も戦争を行うほど、仲の悪い国は世界的にも珍しい。
日本でいちばん有名なインド人と言えば、「インド独立の父」と呼ばれ、紙幣のデザインになっているガンジーだろう。
彼が提唱した「非暴力」の抵抗運動は日本で高く評価されている。が、先ほどのインド人カップルに言わせると、あの方法はどんな相手にも通じるオールマイティーではない。「非暴力と対話」は成熟した民主主義国家のイギリスだから通用した手段で、パキスタンには無意味だと断言する。だから、3度も戦うしかなかった。
しかし、今のところ「第四次」は起きていない。
それは幸運ではなく、インドとパキスタンが核兵器を持ったからだと2人は言う。核保有国に戦争を仕掛ければ、お互いの国が地上から消滅し、広島のように復活するには、何十年かかるかわからない。自国が滅亡してまで相手と戦う理由なんてない。
彼らの意見では、核兵器を保有していることが重要で、インドにそれを使う意思はない。
印パ戦争が第三次で終わり、とりあえずは平和な生活ができているのも、それが大きな理由になっている。
核兵器を持つことで、相手に先制攻撃をさせないーー。
現在の日本では、こんな「核の抑止」には否定的な見方をする人が多い。今年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にノーベル平和賞の授与が決定したことからも、国際的にも核抑止力には否定的な見方が多いことが分かる。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとハマスの戦争など、世界的には核兵器が再び使われる危険が高まっている。
「核兵器のない世界を目指す」とアピールすることも大切だが、「核抑止力」以上に効果的な方法を提示できないと、そんな平和な世界を実現させることは難しい。
広島の原爆資料館を見学して、「やっぱり核兵器の保有は必要だ!」と決意を新たにするインド人もいるのだから。
コメントを残す