紅葉が見頃を迎えた最近、日本に住んでいるヒンドゥー教徒のインド人をお寺に案内した。その後、カフェで彼と宗教談義をしたので、今回はその内容を紹介しよう。
ーー仏教は紀元前7世紀(異説あり)にシャカが始めた宗教で…って、「釈迦(シャカ)」って分かる?
いや知らない。仏教の開祖なら、「ゴータマ・ブッダ」だな。
ーーそういや、シャカって確か民族名だったな。なんで個人名になったんだろ?
*以下は後で調べてわかったこと。
「シャカ(釈迦)」は、お釈迦さまの出身部族・シャーキヤ族を漢字で表したもの。
インドのサンスクリット語の「シャーキヤムニ(シャーキヤ族の聖者)」を漢字で「釈迦牟尼仏」と書き、それを略して「シャカ(釈迦)」と呼ばれるようになった。この名称が日本以外のどこまで通じるか不明。
ーー前にインドを旅行中に出会ったインド人と話をしていて、ボクが仏教徒だとわかると、彼は「ヒンドゥー教と仏教はバラモン教から生まれたから、“兄弟”の宗教なんだ。だから、俺とおまえもブラザーだ」と言い出してビックリした。
あなたもそう思う? ヒンドゥー教と仏教は、虎杖悠仁&東堂葵みたいな「ブラザー(超親友)」だと思う?
思うね。その理由は、母体が同じということだけじゃない。
ヒンドゥー教で、ヴィシュヌ神は魚(マツヤ)や亀(クールマ)などさまざまな姿になって現れる。ブッダはそんな化身のひとつ。
ブッダに祈ることはヴィシュヌに祈ることと同じだから、ヒンドゥー教と仏教は兄弟だ。
*こうした神の化身をサンスクリット語で「アヴァターラ」と言って、これが「アバター」の元ネタ(語源)となった。
それに市内にある弁天島駅の「弁天」とは、ヒンドゥー教の女神サラスバティーのことだと聞いた。それは本当なのか?
ーーイグザクトリー。
シヴァは大黒天になって、ガネーシャは歓喜天になった。ブラフマーは梵天、インドラは帝釈天、ラクシュミーは吉祥天になったし、ヒンドゥー教の神が仏教の神になった例は山盛りある。
京都の三十三間堂にはヒンドゥー教に由来する仏教の神々がたくさんいるから、そこを見学(参拝)したあるあるインド人のヒンドゥー教徒は、「私にとって三十三間堂はヒンドゥー寺院だ!」なんて驚いていた。
ヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)である松屋、おっとマツヤだった。
インドを旅行中に出会って、仏教とヒンドゥー教の関係を「ブラザー」と表現したインド人の話には続きがある。
彼は日本人で初対面のボクに向かって、「私はイスラム教徒のインド人よりも、仏教徒の君の方に親しみを感じる」と笑顔を見せた。
外国人で言葉も文化も違うのに、宗教的に「ブラザー」なら、同じインド国民のムスリムよりも近いと感じるらしい。この見方について、今回話を聞いたインド人に聞くと、
「私はそう思わないけど、宗教に対する“熱量”は個人によって違うから、そういうインド人もいる。熱心なヒンドゥー教徒やイスラム教徒は寛容性がなくて、なかなか相手を認められない。何かのきっかけで対立すると、過激な信者が暴動を起こすこともよくある。インド社会が抱える大きな問題だ。」
とため息をついた。
そんなインドと違って、日本の社会は宗教に対してとても寛大だ。正確には、宗教に強い関心のある人は本当に少ないから、信じる教えの違いをめぐって暴動が発生し、死者やけが人が出ることはない。
もともと釈尊の教えは、「修行として苦行をいくら経験しても悟りは開けない。そうではなくて、心穏やかに正しい行いを重ねることで、いずれは悟りの境地に達することができる」というものであり、ヒンドゥー教に対する一種の「プロテスト」のような思想だったと聞いています。
それが長い年月を経る間に変質して、ヒンドゥー教の土着文化を取り込んで、天部だの如来だの六道だの阿修羅だのと、当初の仏教とは全く関係のない神話的要素を抱える宗教となりました。
今では仏教も、日本の伝統的な神道と変わらず、典型的な多神教です。
でもそれによって人々の間でいさかいが無くなるのであれば、それはそれで価値のあることだと思います。仏教徒と他の宗教信者との間で争いが起きることはありますが、仏教徒同士でたとえば派閥間の争いが起きるようなことは、めったにありません。そこが一神教と違う点です。