また一つ、正義が勝ってしまったらしい。
シリアの内戦で反体制派が勝利して、アサド大統領がロシアに亡命した。
彼はもともと眼科医になろうとイギリスで学んでいたが、1994年に兄が交通事故で死亡すると、大統領だった父親に呼び戻されて後継者となった。
その父が2000年に亡くなると、彼が第5代シリア大統領となる。
国のトップとなったアサド氏は独裁色を強めていき、2011年に内戦が始まると、自分に批判的な人物を「死の収容所」と呼ばれるサイダナヤ刑務所などにぶち込み、数万人を殺害したとされる。
アサド氏には市民を化学兵器で殺害した疑いがあり、米紙の「世界最悪の独裁者ランキング」で第12位に選ばれたこともある。
悪辣な独裁者の重要なキーワードは「残虐と強欲」。
アサド氏がシリアから去った後、首都ダマスカスにある彼のガレージを映したという動画が公開された。そこには、4億5000万円以上もする赤いフェラーリをはじめ、ランボルギーニ、ロールスロイス、ベントレーなど40台以上の高級車があった。
動画を見ると、撮影者は大きなガレージの中を車に乗って移動しながら、アサド氏のコレクションを撮影している。
このニュースに日本のネット民の反応は?
・ガンプラコレクションが出てきたらどんな反応になるかな
・アサドはモスクワに逃げられたが、おこぼれに預かってた奴らはさっさと逃げないとこれから報復の嵐だな。
・俺が独裁者ならセキュリティーだけしっかりした小さな家に住んで庶民派アピールするわ
・カダフィがそれやってたな
テレビ用には掘立小屋
・アサドってスペインやフロリダに不動産持ってんのバレてるしね
多くの国民が住む場所を失って難民になったり、食べる物が無くなって困窮したりする一方で、政権にいる人間は吸血鬼のように国家の富を吸い取って、ラグジュアリーな生活を楽しんでいる。
これは、発展途上国の独裁者によくある光景だ。
フィリピンでは1986年に革命が起こり、独裁者として君臨していたマルコス大統領とイメルダ夫人がハワイへ亡命した後、彼らのいたマラカニアン宮殿には約3000足の高級靴、500着以上のガウン、約900個のハンドバッグの『イメルダ・コレクション』が残されていて、国民の怒りを呼んだ。
ルーマニアの独裁者チャウシェスクの場合は、国民には貧しい生活をさせて批判すれば拷問し、自分は部屋数3000以上の「国民の館」を築き、最期は1989年の革命で妻とともに処刑された。
ことしの夏、バングラデシュで市民による大規模な反政府運動が起きて、シェイク・ハシナ首相が辞任してインドへ亡命したことが記憶に新しい。
(2024年バングラデシュクオータ制度改革運動)
それから2カ月ほどが過ぎたころ、日本に5年以上住んでいるバングラデシュ人と会って話す機会があった。独裁者を追い出すことに成功して、バングラデシュの未来は明るいかどうか尋ねると、彼の意見では、国の未来には艱難辛苦や無理難題が山積していて、一言でいうと「お先真っ暗」だ。
混乱を収拾して新しい社会を築くためには、膨大な資金が必要となるが、ハシナ氏など前政権にいた人たちは不正蓄財で得た巨額の金を持って逃げてしまった。
もともとバングラデシュは貧しい国だったのに、政治家が国を私物化して泥棒となり、数千億円か一兆円を超える金を奪ったから、国を立て直そうにもそのための資金が圧倒的に足りない。
前政権のメンバーは長年の不正蓄財で使いきれないほどの資産があるから、今ごろぜいたく三昧の生活を過ごしている。
そう話すバングラデシュ人は日本の大学を卒業した後、母国には帰らず、日本の会社に就職した。バングラデシュにはたまに帰るだけでよく、これからも日本に住み続け、できれば日本国籍を取得したいと考えている。
彼にとって日本の大きな魅力は、独裁者が生まれる土壌がなく、政治的な混乱が起こらないこと。政治が安定していないと、国民生活や自分の人生が大きく左右されてしまう。祖国の現状を見て、日本で生活したいという思いはさらに強くなったと言う。
言われてみると、日本では「残虐と強欲」を属性とする独裁者が思い浮かばない。
ネットで検索すると、後白河法皇、足利義教、織田信長、わりと新しいところでは大久保利通や東條英機が挙げられている。数百年前では価値観が違いすぎるから前者は対象外として、大久保や東條が独裁者かどうかは人によって判断が分かれる。
マルコス、チャウシェスク、アサド氏などの「ガチ勢」に匹敵する人物は見当たらない。
日本では、多くの国民を貧困状態におき、自分に反対する人間は捕まえて拷問や処刑を行う一方で、自分はけた違いの高級品のコレクションを持ち、優雅な生活をしていた独裁者は存在しなかった。だから、市民革命が起きて国外に追放されたり、処刑されたりした政治家なんていない。
独裁者の誕生を防ぐ制度や価値観があったのかわからないが、日本に国を私物化する強欲で残酷な独裁者がいなかったことは、国の発展にとって本当にラッキーだった。
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コメント
コメント一覧 (5件)
キーワードは「権威(宗教)と権力の分離(二重構造)」「最高権力者への法的制約」辺りですかね?
残虐な独裁者がほぼ誕生する余地は無いとされる日本や西欧諸国って、古代より法治(日本では律令制、西欧ではローマ法とゲルマン法)をベースに国家運営されて来ました。
13世紀辺りには、将軍や国王が権力を乱用出来ないよう法制化もしてますし(御成敗式目やマグナカルタ)。
他地域にも法が無い訳ではないでしょうが、権力者は法の外で統治する目的だけに使っていると…。
権力の恣意的運用を法で制約する構造が無いと、どうしても独裁者の好き勝手にされやすい体制になりますよね。
それでもなかなか改められないのは、権力者陣営になった時のメリットが大き過ぎるからでしょう。
朴正煕大統領は韓国の産業化を成功させた指導者ですが、彼は韓国内で独裁者として指弾されています。彼が1979年10月26日、中央情報部長が撃った銃弾に当たって国軍首都病院に運ばれた時、彼を診療した医師は彼が大統領であることを知りませんでした。なぜなら、古いベルトと痩せた体が大統領だと見るのが難しかったからです。朴大統領は普段、大統領府のトイレの便器にレンガ1枚を入れて水を節約して使った人でもありました。
そんな人が独裁者として非難されるのが現在の大韓民国です。
日本のネットで韓国の独裁者を探したら、やっぱり朴正熙大統領が出てきました。
映画「ソウルの春」でも彼はそう描かれています。
しかし、高度経済成長を実現させて、国民生活を豊かにした事実もあって評価が分かれる人物だと思います。
映画「ソウルの春」は、左派が作った宣伝映画です。
朴大統領が独裁をしたのは事実です。しかし当時の時代上、独裁をしなければならない状況でした。日本が朝鮮を併合した後、なぜ朝鮮人に権利を制限したのですか? 朝鮮人は無知で民度が低く、当時の日本の制度を完全に受け入れて日本人と同等に考え判断する能力がなかったからです。朴大統領が統治していた時代の韓国も同じでした。当時の韓国人も自由民主主義を享有するほどの水準にはなりませんでした。 それに北韓の共産集団によって脅威を受け続けていたため、権威主義的な統治が避けられませんでした。現在の韓国の姿だけを見ても、当時の韓国人がどのような水準だったかを推測することができるでしょう。
> 日本では「残虐と強欲」を属性とする独裁者が思い浮かばない。
> ネットで検索すると、後白河法皇、足利義教、織田信長、わりと新しいところでは大久保利通や東條英機が挙げられている。
もう一つ日本だけの特徴として、これらの「独裁者」とされる何人かの人物は、ほぼ例外なく「暗殺」や「突発的なクーデター」により命を落としているということです。後ろ立てを次々乗り換えた戦略によって寿命まで生き延びたのは、後白河法皇くらいですかね。また東条英機はA級戦犯として処刑されました。
もう一人、天皇家の存在さえ脅かしたと言われる独裁者として、足利義満がいます。彼は一般的には急病死とされていますが、実は暗殺であったのでは? という説もあります。
もう一人、先代の天皇を廃嫡して自身が重祚したという意味では政治上の独裁権を握った孝謙称徳女帝がいます。彼女も病死とされていますが、その死の床まで付添った者はほとんどいなくて、実は暗殺(毒殺)なのでは? という説が昔からあります。
これらのことを考えてみると、日本人は昔から「全てを握る独裁者」の出現を嫌っていて、出現しても社会が葬ってしまうという傾向が強いのでしょうね。またもしかすると、これら独裁者も当時の国民も、特定の宗教に結び付いていないことが関係するのかもしれません。