韓国の慰安婦映画「鬼郷」。歴史の事実より感動を優先する物話

 

「鬼郷」という韓国の映画を知ってる?

この映画は、2016年に公開された慰安婦の物語。

この「鬼」とは日本語の鬼ではなくて、中国語の「鬼」と同じ。
霊や魂といった意味の言葉になる。

この「鬼郷」が韓国で公開されるやいなや、すぐに記録的なヒットとなった。
中央日報には、「42万人の観客を動員して公開以来一日の最多観客記録を打ち立てた」と書いてある。

 

韓国ではこの映画はあくまでも「実話」であると主張している。
中央日報の記事(2016年07月22日)から。

慰安婦題材の韓国映画『鬼郷』、東京で初上映…「反日が目的ではない」

映画『鬼郷』は慰安婦被害女性の実話を扱った映画だ。1943年にわけも分からぬまま日本軍の手で連れていかれ家族のもとを離れた14歳チョンミンと少女の胸を痛めていく経過を描いた。

 

当たり前だけど、映画の内容で感動することとそれが歴史の事実であるかはまったく別のこと。

「私はあの映画を見て感動して涙が止まらなかった。だからあの話は事実に違いない」ということはありえない。

でも感情移入してしまうと、そうなってしまいがちになる。
ただ、そうなったらもう歴史はわからなくなる。
事実よりも自分の感動を優先して信じてしまうだろうから。

 

この映画については実際の歴史ではありえない内容があって、日本ではいろいろと批判されていた。

慰安婦について、日本人は韓国人ほどには感情移入をしない。
だから気持ちに流されないで、客観的に判断することができる。

ウィキペディアにはこう書いてある。

実話を元に作られたとされ、日本軍による朝鮮人少女たちの強制連行、性暴力、虐殺などが描かれている。しかし実際は三十名以上の元慰安婦の証言の中から、絵になりそうな部分だけを切り取って寄せ集めたり、証言にもないシーンを付け加えたりしている

先ほどの中央日報には、「わけも分からぬまま日本軍の手で連れていかれ」と書いてあった。
これが日本軍による強制連行のことをいっているのであれば、それは間違い。
日本軍による強制連行はなかったから。

 

また、「14歳チョンミンと少女の胸を痛めていく」ということろは明らかに歴史の事実とは違う。
14歳の慰安婦なんて存在していなかったから。
日本政府が「少女像」と呼ぶことをやめて「慰安婦像」と呼ぶことに決めた理由には、実際の慰安婦に少女はいなかったことがある。

 

また、櫻井よしこさんは韓国人の呉善花さんからこの映画の話を聞いて、この内容は「荒唐無稽も甚しい」と断じている。

強制連行だけでもあり得ないが、映画はさらにあり得ない話を、史実であるかのように描いている。

「毎日、性の労働を強いられる少女たちは脱走を試みたり、病気になったりします。そうした少女たちを、日本兵は大きい穴の縁に座らせ一斉に銃殺して穴に放り投げる。または生きたまま穴に突き落として、ガソリンをかけて、焼死させるという内容です」と、呉氏。

「 映画「鬼郷」に見る韓国反日感情の虚構 」

日本人から見ると、韓国人には「言い過ぎ」や「やり過ぎ」が多い。

慰安婦の問題を、ナチスのホロコーストやポルポト派の虐殺と同じレベルでとらえていたことがあった。
長崎の軍艦島を「アウシュヴィッツ強制収容所」と表現したこともある。

そんな韓国人からしたら、これぐらい設定はただの演出なのかもしれない。

 

でも、この映画について正しい見方をしていればいいと思う。

「これはあくまでも映画の物話で、歴史の事実ではない」とわかって映画を見ればそれほど問題はない。

 

実際には日本軍による強制連行なんてなかったし、14歳の少女もいなかった。
日本兵が慰安婦たちを「一斉に銃殺して穴に放り投げる」とか、「生きたまま穴に突き落として、ガソリンをかけて、焼死させる」というのは映画のつくり話だと理解していればいい。

 

日本兵を残酷な存在にすることで、慰安婦の少女たちをよりかわいそうな存在にえがくことができる。
それが観客の感動にむすびつく。

観客からしたらお金を払って映画を見る以上、その映画代に見合う感動がほしい。
映画監督にはその期待に応える義務がある。
そのためには、実際にはなかったことでも演出として見せないといけないかもしれない。

つくり話を事実だと信じると問題になってしまう。
この映画は日本でも公開されていた。
ネットでは、この映画を見た人が感想を書いていて、なかには映画の虚構を事実だと信じこんでいる人がいる。

 

ボクも前までは、日本軍が朝鮮の女性を強制連行して性奴隷のように扱っていたと信じていて、まわりの人間にもそう伝えまわっていた。
でもそれがまったくのウソとわかって力が抜けた。

それからはなるべく事実だけを信じるようにしている。
それと同時に、罪滅ぼしの意味で今は慰安婦についての事実を伝えるようにしている。

 

映画を見て感動することはいい。
けど、そのことによって批判能力を失ってしまうとこれは大きな問題だ。
くり返しになるけど、自分が感動したこととそれが事実であることとはまったく別のこと。

ボクが大学生のとき、こんな女子大生に会ったことがある。

「慰安婦だったハルモニ(おばあさん)は、涙を流して話をしていた。私もその話を聞いて涙が止まらなかった。あの話を否定する人間なんて信じられない」

 

ここまで感情移入してしまったら、批判能力はなくなっている。
事実を検証することすら「信じられない」となるだろう。
映画にしろ人の話にしろ、それが事実だというのなら具体的な根拠が必要になる。
検証作業も欠かせない。

ボクは根拠のない話は事実ではないと考えている。
でもブログでそんなことを書いたら、「おまえは人でなしだ。人間ではない」というコメントがきた。
でも、感動と事実はまったく別。
この考えはかわらない。

 

傷ついた慰安婦の人たちの心を癒すことが目的なら、否定することなく手を重ねて話を聞けばいい。

でも、それが事実かどうかを確認する必要があるなら、検証をしなければならない。
事実を確認する行為を「人でなし」と言うのなら、感動の世界にいればいい。
歴史の世界には足を踏み入れないほうがいい。

 

慰安婦のことだけではなくて韓国の新聞や映画や本では、事実より感動を優先しているとよく思う。

「ひょっとしたら、情に訴えることで内容に疑問をもつことを封じているのではないか?」
なんて感じることもある。
実際、心を動かされて感動してしまったら、その内容が事実かどうかという検証がしにくくなる。

「それか歴史の映画や本をたくさんつくることで、それを事実の根拠にしようとしているのではないか?」

邪推かもしれないけれど、そんな意図もあるように思う。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。