日本軍が英軍を圧倒し、シンガポール人を覚醒させた件

1941年12月8日、日本海軍が真珠湾の米軍基地に攻撃をしかけて、太平洋戦争が始まったと記録している人は多いと思う。でも、実際には、それよりほんの少し早く、日本陸軍がイギリスの植民地だったマレー半島に上陸作戦をおこなったから、厳密には、それが戦争の始まりだ。

*イギリス領マレーは、だいたい現在のマレーシアとシンガポールを合わせた地域。

 

マレー半島に上陸した日本軍はイギリス軍を撃破しながら、一気に南へ進軍し、1月31日にはジョホールバルを占領することに成功。
日本軍を指揮していた山下 奉文(ともゆき)中将は、「圧倒的じゃないか、我が軍は!」と胸を張った(気がする)。
残すは、ジョホールバルの対岸にあるシンガポールのみ。しかし、ここには難攻不落と言われたシンガポール要塞(ようさい)があり、日本軍はこれを攻略しなければならなかった。これはマレー半島に君臨していた「ラスボス」で、イギリス軍は日本軍の2倍を超える兵力があったため、長期戦は避けられない、って思うじゃないですか?

しかし、2月8日にシンガポールの戦いが始まると、約1週間後の15日に、あっさり決着がついてしまった。イギリス軍の司令官・パーシヴァルは日本軍の猛攻を前にし、弾薬切れなどもあり、抵抗することができなくなり、降伏を決意した。
イギリス首相だったウィンストン・チャーチルが「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」と評した歴史的大敗だ。

 

 

1942年2月15日、降伏交渉に向かうため、日本軍の将校に導かれながら行進する英軍のパーシヴァル中将。
現代の英語版ウィキペディアに、

「It was the largest surrender of British-led forces in history」
(イギリス軍にとっては史上最大の降伏であった)

と書かれている屈辱的なシーン。

一方、日本はお祭り騒ぎだ。
1942年2月18日、シンガポール陥落や真珠湾攻撃の成功を受けて、首相の東条英機も出席し、東京・日比谷公園で「第1次祝賀国民大会」が盛大に開催された。

 

シンガポール陥落を記念して発行された切手(1942年)

 

こうしてシンガポールは日本軍の占領下となり、「昭和時代に獲得した南の島」という意味でシンガポールは「昭南島」と改名され、昭南神社も建てられた。
おまけに言うと、インドをイギリスから解放する「インド国民軍」が組織されたのもこの時だ。
1945年に日本が米軍に降伏すると、日本によるシンガポール統治も終わりを迎え、再びイギリス人が支配することとなる。日本占領時期のシンガポール

日本がイギリスを駆逐する様子をリアルタイムで目撃し、「昭南島」で3年間を過ごしたことで、シンガポールの人たちの意識が変わった。
イギリスがシンガポール防衛に失敗したことで、シンガポールの人々の目には、完全無欠の支配者(infallible ruler)としてのイギリスへの信頼は失墜した。

The failure of Britain to defend Singapore had destroyed its credibility as an infallible ruler in the eyes of Singaporeans.

1942–1945: The Battle for Singapore and Japanese occupation

 

その結果、戦後になると住民の間で民族的な覚醒が起こり、マレー語で独立を意味する「ムルデカ」のスローガンに象徴される独立運動が高まっていく。
イギリスはその圧力を抑えることができず、1957年にマラヤ連邦が独立した。
結果的には、シンガポールの戦いで日本が圧倒的な勝利を収めたことは、彼らの独立をアシストしたことになる。
ただし、だからといって、シンガポール人が日本に感謝しているとは思わないように。

 

 

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