【敵は北方から】古代から近代まで、朝鮮半島が“日本の生命線”だった理由 

4月17日、「ヨイナ」の日。日本の歴史ではこんなことがあった。

・667年のこの日、天智天皇が飛鳥から近江大津宮(おうみおおつのみや)へ都を移した。
・1895年、伊藤博文と李鴻章が話し合い、講和条約である下関条約が結ばれた。

時代も人物もまったく違うこの2つの出来事を結ぶキーワードは「朝鮮半島」。古代から近代まで、日本の安全保障にとって朝鮮半島は「生命線」と言っていいほど重要な地だった。

 

飛鳥時代、天智天皇が現在の奈良から滋賀に都を移した理由は、はっきりとは分かっていないが、当時の日本が置かれていた状況からそれを推測することはできる。
まず、朝鮮半島にあった百済が新羅&唐に攻められ、660年に滅亡する。倭国(日本)が外国に攻め込まれるとしたら、それは朝鮮半島からしかない。それを警戒していた日本は百済と同盟関係を結び、ここを拠点に日本を守ろうとした。しかし、百済が消滅したため、日本を攻撃するリスクが高まった。
百済の遺民たちは祖国を復興するため、日本に助けを求めてきた。日本はこれに応じ、軍を送って戦ったが、663年の白村江の戦いで大敗した。百済復興の夢は完全に消え、日本は朝鮮半島の“盾”を失う。
日本は新羅と唐の攻撃に備え、九州に「水城(みずき)」を作り、山城を築いて防御力を高めた。そして、瀬戸内海から船で敵がやってくることを想定し、奈良から遠い内陸部の大津に都を移した。
白村江の敗戦の4年後に遷都した理由は、国防のためと考えるのは十分理解できる。

天智天皇が飛鳥から近江大津宮(おうみおおつのみや)へ遷都した理由には、これを含めていくつかの説がある。

 

清軍の兵士

 

1894年に日本が清と戦った理由は、下関条約の第一条を読めば分かる。

「清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。」

当時、清に従属していた朝鮮を独立させるため、日本は行動を起こし、力づくで清にそれを認めさせた。そのほかの理由については「日清戦争」をクリックして確認しよう。
これによって朝鮮は独立国となって国名を「大韓帝国」に変え、朝鮮国王は皇帝にレベルアップした。
アメリカの学者ヘレン・ミアーズは、日本にとって日清戦争は「完全な成功だった」と評価してこう述べている。

西洋列強は喝采し、日本における彼らの『特権』を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

「アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21) ヘレン・ミアーズ」

 

韓国に自由を贈ったと言っても、日本はサンタクロースではなく、自国の利益のためにそうしたのだ。日本は南下政策を掲げるロシアを仮想敵国としていたから、朝鮮が独立して強い国になることは都合がよかった。かつての百済のように日本の“盾”になる。ただし、日本は大韓帝国に強い影響力を持っていたから、「完全無欠なる独立自主の国」と言えるかは微妙。

その後、日本の不安は現実となり、朝鮮半島の支配をめぐって争いが起こり、日本はロシアと戦争をすることになった。
李容九と日韓合邦運動を推進していた政治運動家、内田良平は『現代語訳 日韓合邦: 知られざる韓国併合の裏面史』で次のように書いている。

「そもそも日露戦争の発端は日清戦争であり、日清戦争の原因は朝鮮問題であり、日露戦争もまた朝鮮に関連するということは重大な意味を持っている。」

 

古代から、日本にとって朝鮮半島は国防のために「生命線」とも言える重要な場所だった。667年に遷都したのも、1895年に朝鮮を独立させたのも、外国の侵略から日本を守るためという点では同じ目的を持っていたのだ。

 

 

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