朝鮮が自滅した理由 高宗の「売国っぷり」に日本人があ然

 

「朝鮮半島が植民地になったのは、日帝の鉄の杭のためではなかった。朝鮮は日帝の侵略を防ぐことができなかった。冷静に評価すれば、朝鮮は自滅した。」

ハンギョレ新聞のこのコラムに、そんな厳しい見方が書かれている。(2024-03-08)

朝鮮はわずか「30年」で滅びた

19世紀の後半、欧米列強が東アジアにまで進出してきて、日本・中国・朝鮮には主権を奪われ、植民地に転落する危機が迫っていた。
当時の国際社会は、弱い国は強い国に吸収される帝国主義のルールで動いていたから、独立を保ち続けるためには、欧米にならって国を近代化するしかない。
日本は明治維新でそれに成功したが、中国と朝鮮は失敗した。その結果、朝鮮は「江華島条約」で開国してから30年後、1905年に第2次日韓協約を結んで主権を失い、日本の事実上の保護国となった。

現代の韓国ではこの出来事について、一方的に「日本の侵略」を非難することが多いが、コラムでは「朝鮮の自滅」を指摘した。感情を抜きにして、冷静に評価するとそうなるらしい。
亡国の原意として、コラムは当時の大韓帝国皇帝(朝鮮国王)の高宗を取り上げ、彼の無能さや無責任さを非難している。
彼は国を私物化し、国民のためではなく、自身の利益のために政治を行なっていた。
そんな高宗がした大失敗の一つが、ハーグ密使事件だ。

 

高宗(1852~1919)

 

1907年のきょう6月15日、オランダのハーグで万国平和会議が開催された。
高宗はその機会をねらって、3人の密使を送り込み、第2次日韓協約の「不当性」をアメリカやイギリスなど各国へ伝えたが、どこにも相手にされなかった。
韓国の保護国化は欧米列強が認めたものだったから、韓国にはどれだけ不満でも、欧米が味方になることはない。
「世界各国が韓国外交権を共同で保護することを望む」と西洋諸国に訴えた高宗は、井の中の蛙で、当時の国際社会の空気をまったく読めていなかった。
高宗はハーグ密使事件の責任を取って退位する。

韓国滅亡への道 高宗の資質・ハーグ密使事件・日本の怒り

 

そのころ、初代韓国統監を務めた伊藤博文とともに韓国へ渡り、彼の下で働いていた内田良平という人物がいる。
当時の韓国には、日本との併合を求める政治団体「一進会」があり、内田はその考えに共感し、顧問となって一進会の会長・李容九をサポートした。
彼は日韓併合の裏側をよく知っていて、それを記録に残している。

20世紀の初めごろ、高宗はロシアに近づいていた。
彼はロシア公使館に逃げ込み、ロシアの保護を受けて生活をしていたこともある(露館播遷)。
しかし、1904年に日露戦争がはじまると状況は一変し、高宗や周囲の者たちは「もしロシアが負けたら…」と考え、震える生活を過ごすこととなる。

そんなある日、高宗の側近だった李逸植が「守部」という日本の実力者を訪ねてきた。
李は、自分は決して親露の人間ではなく、日本のために力を尽したいと申し出る。
そこで守部が「君に親日の誠意があるなら、その実を示せ」と、具体的な行動で見せてほしい
言うと、彼は承諾してその場を去った。
そして、今度は皇帝(高宗)の勅許を得た20ほどの利権を持って再び訪れた。
内田の記録によると、その内容は、重要な鉱山、漁業、山林、未墾地などを網羅し、韓国の利権の大部分を日本に与えようとするもので、守部はあ然としたという。

守部は過大な利権に驚くと同時に、韓国の親露政策が皇帝と李逸植の合作によるものであり、李逸植の保身は皇帝の保身と連帯関係にあって、恐怖心も共通しているために、これほどの利権を勅許されたのだと悟った。

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高宗や側近たちは「日本の歓心を買って保身を図ろうとして」、国の重要な部分を日本へ譲り渡そうとしたのだ。
彼らは完全に国を私物化していて、その“売国っぷり”に接して日本人が驚いた。
国の最高責任者や周囲にいた者たちが国家や国民を無視し、自身の利益を守ることだけを考えていたから、朝鮮は自滅したのだ。

 

 

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4 件のコメント

  • “朝鮮はわずか「30年」で滅びた”—- この言葉は事実ではありません。
    朝鮮は開国自体にすでに亡国の要因を持っており、実際にも日本より約300年前から衰退していました。全国民の10%にも満たない両班と王族が90%以上の民を抑圧し搾取する国が朝鮮でした。失敗するのは自然な手続きでした。

  • 相変わらず、厳しいですね(笑)。
    でも、王や政府にいた人間が国を私物化する朝鮮王朝の風潮は、長い時間をかけてつくられました。
    高宗もその一人です。

  • 朝鮮王朝は”家産制国家”でした。
    高宗はそのアイコン格の人物でした。お金が必要なら官職を売り、官職を買うべき公務員を作るために「科擧試験」と呼ばれる公務員採用試験を随時施行しました。こんな国が滅びなければどんな国が滅びるでしょうか?

  • 高宗の妻の閔妃も父親の大院君も、朝鮮国民のことを考えてなく、自分の利権ばかり考えていました。
    これも亡国の大きな原因です。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。