インドネシアのと関係(歴史):日本の占領下での悪いこと・良いこと

 

日本とインドネシアの関係について、ある日本人はこう考えていた。

「インドネシアはオランダの植民地にされていた。日本がその支配から解放した」
「インドネシアが独立を守ることができたのは日本人のおかげだ」

その一方で、あるインドネシア人は日本とインドネシアの関係をこう考えていた。

「オランダの植民地支配が終って、次は日本による植民支配が始まった」

この2人が話をしても考え方は合わない。
それで日本人が怒りだした。

そんなことを前に記事に書いた。

インドネシア人を困らせる日本人。上から目線で戦争の歴史を語る

 

なんでこのインドネシア人は、こんな歴史の認識をもつようになったのか?

素直に考えれば、その最大の理由はインドネシアで受けた歴史教育の影響だろう。
太平洋戦争のときの日本とインドネシアの関係について、どう学んだのか?

その内容によって彼の歴史観がつくられたはず。
今回はそのときの日本とインドネシアの関係を、インドネシアの歴史教科書からみてみたい。

 

インドネシアのバリ島

 

ボクが読んだのは、インドネシアの高校生がつかう歴史教科書「インドネシアの歴史教科書 明石書店」というもの。

この歴史教科書を読んで感じたのは、こんなこと。
「歴史教育をつうじて、インドネシアの子どもたちに愛国心や民族としての誇りを育てるというねらいがあるんだなあ」ということ。

この教科書では、「インドネシアは外国に支配されていたけど、インドネシア人の手で独立を達成して守った」ということに力点をおいている。

たとえば、こんな文がある。

インドネシア民族は自らの力で国を運営し外からの妨害に対して自国を守ってゆく

独立を充実させ守る努力は我々の共通の問題である。すべての国民はともに国を守る権利と義務を持つ。

インドネシア民族の愛国心は独立戦争以来のインドネシア民族の戦いに数多くの例を見ることができる。彼らは植民地支配者の庇護の下にあるよりも、死ぬか財産を失うほうがずっとましであると心に決めていた。祖国の隅々から全身全霊で植民地支配から郷土を守ろうとする独立闘争の指導者たちが現れた

そして、「このような自己犠牲の精神や統一と団結そして祖国愛はインドネシア民族が守り続けていくべきもの」だと書いている。

日本の歴史教科書ではありえないような記述をしている。
日本の教科書は、過去におきた事実をたんたんと書いているから。

「このような自己犠牲の精神や統一と団結そして祖国愛は、日本民族が守り続けていくべきもの」
日本の歴史教科書にこんな一文があったら、きっと騒ぎになる。

 

とにかくインドネシアの歴史教科書では、こうした歴史認識にもとづいて、日本とインドネシアの関係についても書いてある。
だから、次のような内容は期待しないほうがいい。

「日本がオランダの植民地支配からインドネシアを解放した」
「日本のおかげで独立できた」

こういった日本への感謝の言葉はない。

 

 

1942年に、日本軍がオランダを降伏させてインドネシアを占領した。

10日ほどの戦闘の後、在東インド植民地軍は全面降伏し、オランダ人の一部はオーストラリアなどの近隣の連合国に逃亡した。以後、東インド全域は日本の軍政下に置かれた。

「オランダによる350年の東インド支配」が実質的に終了したのである。

(ウィキペディア)

このときのインドネシアには、日本軍が来るという「予言」があった。
「ジョヨボヨの予言」がそれで、この予言によって日本はインドネシアをスムーズに占領することができたという。

日本とインドネシアの関係(歴史)②日本軍とジョヨボヨ王の予言

 

インドネシアの歴史教科書によると、日本軍の占領下のインドネシアでは、人々はいろいろなことに苦しんでいたという。

日本はインドネシアを統治していたとき、インドネシア人の心をつかもうといろいろなことをしていた。
けれど、「人民の共感や関心を引くことはなく(同教科書)」という結果におわる。

 

そして、インドネシアで有名な言葉がでてくる。
「労務者(Romusha)」という言葉。

人々のあらゆる活動が、日本が敵と戦う上で必要なものを満たすために振り向けられたので、人民の苦しみは増す一方だった。

労務者(romusya;強制労働)になった人たちは特に苦しんだ。多くの人が空腹と病気のために犠牲となった

「インドネシアの歴史教科書 明石書店」

インドネシア人の友人と話していたとき、彼も「労務者(Romusha)」のことは言っていた。
これはインドネシアでよく知られている言葉だという。

また、日本がインドネシアを占領していたときには、各地で日本に対する反乱もおきている。

全体的に見て、この時代の日本は歴史教科書のなかでは「悪者」といったところだ。

 

 

でも悪いことばかりではない。
日本が良いこともしたとも書いてある。

インドネシアにおける肯定的な面もあった。たとえば多くの点でインドネシア化が進んだ。とりわけインドネシア語が公用語となり名称がインドネシア語化され、政府高官の職務がインドネシア人に担当されるようになった、などである

「インドネシアの歴史教科書 明石書店」

オランダが支配していたときには、インドネシア語を認めていなかったのだろう。

インドネシアでインドネシア語が公用語となったのは日本が占領していたときだった。
これはインドネシアの教科書でも評価している。
日本人として知っておいてもいいことだ。

 

インドネシアの歴史教科書を読んでいて、こんなことを思った。

「ここに書いてあることは、友人のインドネシア人が言っていたこと同じだな」

インドネシアの歴史教育が、そのままインドネシア人の歴史認識になっている。
少なくてもボクの友人については、そう言うことができる。

 

個人的には、インドネシアの歴史教科書で書いていてほしかった内容がある。

日本がアメリカに降伏したあと、ふたたびオランダがインドネシアに戻ってきた。
またインドネシアを支配するために。

 

このとき、インドネシア人は国の独立を守るためにオランダ軍と戦っている。
インドネシアを守るためのこの戦争では、3000人もの日本人が協力して、そのうちの1000人が亡くなっている。

この独立戦争には、スカルノやハッタらインドネシアの民族独立主義者の理念に共感し、軍籍を離脱した一部の日本人3,000人(軍人と軍属)も加わって最前列に立って戦い、その結果1,000人が命を落とした。

(ウィキペディア)

こうした日本人がいたことは、インドネシアの歴史教科書にも書いてもらいたかった。

でも、インドネシアの歴史教育はインドネシア人のためにある。
祖国愛や民族としての誇りを身につけさせたいのだろうから、「日本人への感謝」というところは教科書では必要ないんだろう。

 

日本がしたことには、良いこともあったと書いている。

インドネシア語が公用語となった。
政府高官の職務がインドネシア人に担当されるようになった。

教科書にはのってないけど、インドネシアのために多くの日本人もいっしょに戦ったことは覚えておこう。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。