中国人の友だちに、こんな質問をしたことがある。
「日本人と中国人のちがいって、なんだと思う?」
「それはサービスですよ。日本人のサービス精神!日本へ旅行にきた中国人はみんな、日本人のサービスはすごい!って言いますよ」
たしかに中国から日本へ来たら、そう感じるはず。
彼女の言葉で中国旅行のことを思い出した。
中国でうけたのは、サービスより「屈辱(くつじょく)」のほうがはるかに多かった。
中国の銀行で両替をしたら、受付の銀行員にパスポートを投げ返される。
ホテルに泊まろうとしたら、携帯をいじっていた従業員から「部屋?メイヨー(没有)」と、メンドくさそうに言われる。
ひと昔前の中国旅行では、「没有」という中国語を本当によく言われた。
「ない(没)」が「ある(有る)」という言葉は日本語ではないけど、英語には「There is nothing」という言い方がある。
「ないという状態がある」ということで、「ない」になる。
日本語にはこういう考え方がないと思う。
あれ?
話がそれた。
日本でのサービスについて、もっとも大きな影響をあたえたのは百貨店だろう。
百貨店はサービスのプロであり手本でもある。
そのぶん、商品の値段はたかいけど。
そんな日本の百貨店が今、ピンチ!
日本から百貨店がどんどん姿を消している。
j-castニュース(2017/3/5)にこんな記事がある。
全国の百貨店が相次ぎ閉店している。
2017年2月28日、セブン&アイ・ホールディングス(HD)傘下のそごう・西武が運営する茨城県つくば市の西武筑波店と大阪八尾市の西武八尾店が閉店。
その前日には、さくら野百貨店仙台店を運営するエマルシェ(仙台市)が仙台地裁に自己破産を申請して営業を停止するなど、閉店ラッシュが止まらない。
あなたの近くの百貨店は大丈夫?
これは中国の百貨店
日本のサービス文化をうみだしてきた百貨店が衰退してしまうのは、とても残念。
ということでこの記事で、百貨店がしてきた日本への貢献についてと書いていきたい。
日本の百貨店の「原点」は、江戸時代の越後屋にある。
越後呉服屋
三井高利が1673年に江戸に開いた呉服店。「現金掛け値なし」と切売り商法で繁盛。両替商も兼業。幕府の御用(達)商人。明治期になって分立し、現在の三越百貨店につながる。
(日本史用語集 山川出版)
ここに書いてある「切売り商法」というのは、江戸時代の日本人にとっては画期的なサービスだった。
今の日本では、客が布をほしかったら必要な分だけを買うことができる。
布を30㎝や1m20㎝で買うことはまったく問題ない。
でも、江戸時代にはこれができなかった。
かならず、「一反」という店が決めた単位で買わないといけなかった。
選択権は客ではなくて店にあったようなもの。
この販売方法を変えたのが、越後屋の三井高利(たかとし)という人。
もうひとつは呉服業者間では禁じられていた「切り売り」の断行である。当時は一反単位の取引が常識で、どの店も一反から売っていたものを、客の需要に応じて切り売りし、江戸町民の大きな需要を掘り起こした。
三井高利(たかとし)は、「お客様は神様です」という今の日本人のサービス精神がつまっていたような人。
「客が店の考え方に合わせる」という店中心の考え方からぬけ出し、客の立場にたったサービスを考えた。
「客がどう感じるか?」「客は何がほしいか?」といったことをふかく追及したからこそ、こうした新しいビジネスの考えが生まれたのだと思う。
三井高利がはじめたサービスは、日本初となる「切売り」だけではない。
ほかにも、今でいうイージーオーダーやチラシ配りもしている。
さらには、雨が降ったら傘を貸し出すサービスまで考え出した。
こうした画期的なサービスを提供して、店は大成功。
「芝居千両、魚河岸千両、越後屋千両」と呼ばれ、1日千両の売り上げを見るほど繁盛した。
江戸時代の越後屋から今につながる日本の百貨店がなくなってしまうのは、本当に残念だしもったいない。
たまには、百貨店で買い物をしてみよう。
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