今、こんなことが話題になっている。
「なんで福岡県の人たちはトリ料理が好きなのか?」
朝日新聞の記事によると、それは江戸時代の「享保の飢饉」に関係があるという。
鶏が広がったきっかけを「1732年に西日本を襲った享保の大飢饉(ききん)にある」と説明する。
「財政再建策として黒田藩が行った一つが、鶏卵を専売品にすることだった」
メタボが深刻な問題になっている今の日本からは想像できないけど、飢えの苦しみというのはすさまじいらしい。
飢饉がその社会に与える影響は大きく、福岡県のトリ料理のようにそれによって食文化が変わってしまうこともある。
ということで(え?)、今回は飢えによって食文化が変わったという例を2つ紹介したいと思う。
*享保の飢饉については、この影響で日本にサツマイモが広がったことも覚えておこう。
この飢饉を教訓に、時の将軍徳川吉宗は米以外の穀物の栽培を奨励し、試作を命じられた青木昆陽らによって東日本各地にも飢饉対策の作物としてサツマイモの栽培が広く普及した。
(ウィキペディア)
まずはドイツのジャガイモ。
ドイツ料理にジャガイモはつきもの。
ジャーマンポテトは日本でもとても有名なドイツ料理だ。
と、言いたいところだけど、ドイツには日本でいう「ジャーマンポテト」はないらしい。
でも、「ベーコンとジャガイモ」という料理はある。
とにかくジャガイモは、ドイツの食文化の一部になっていることはたしか。
そんなドイツでジャガイモが広がった背景には、三十年戦争の苦しみがある。
三十年戦争
1616~48ドイツを戦場とし、旧教を強制されたベーメンの反乱から始まり、神聖ローマ帝国全体の新旧両派諸侯の戦いへと拡大した。
スペインが旧教徒側を援助し、デンマークやスウェーデンが新教側にたって参戦するなど国際戦争に発展し、旧教国フランスが新教徒側にたって参戦した(世界史用語集 山川出版)
この三十年戦争によって、戦場となったドイツは大打撃をうけた。
考えられないほどの数の人が死んで、農地も荒れ放題になってしまう。
当然、食べられるものは何でも口に入れた。
でも、もう食べるものがない。
そんな時、出会ったのがジャガイモです。
耕地は全滅のために(ドイツ)農民の疲弊ははなはだしく、彼らの野山の草や木皮を食って命をつなぎ、大切な家畜をほふり、愛犬を殺して露命をつないだ。そうしたどん底の生活が彼らにジャガイモを栽培することを余儀なくさせたのである。
「食物の社会史 加茂儀一」
それまでのドイツでは、「ジャガイモを食べると流行病にかかる」という迷信があったこともあって、ジャガイモを食べるという食文化はなかった。
でも三十年戦争の後のドイツでは、そんなことを言っていられない。
こうしてドイツの人たちはジャガイモを食べるようになっていった。
でも、ドイツでジャガイモが広がった陰には一人の人物がいる。
享保の飢饉がおきた後、将軍徳川吉宗がサツマイモの栽培をすすめた。
三十年戦争後のドイツでは、フリードリヒ大王が「ジャガイモ令」を出してジャガイモの栽培をドイツ中に奨励している。
ということで、三十年戦争後の飢えの苦しみがドイツの食文化を変えた、というわけだ。
ちなみに、三十年戦争がおきた1616年には文字どおりイロイロなことが起きている。
日本では徳川家康が亡くなっているし、中国では女真族のヌルハチが後金(後の清)を建国している。
カンボジアを旅行していて驚いたのが、これ。
クモのフライ。
クモをそのまま揚げているから、姿もそのまま。
それまでにサソリやヘビなんかのゲテモノを食べたことがあったけど、クモフライの見た目はなかなか強烈。
「蜘蛛の揚げ物」と漢字で書いただけで食欲は失せる。
カンボジアを旅行中クモを食べようか迷っていたけど、結局これを口にすることはできずじまい。
カンボジア人から聞いた話だと、もともとカンボジアにはクモを食べる食文化なんてなかったという。
ポルポト時代に食べる物がなくなって、仕方なくクモを食べるようになった。
そして今のカンボジア食文化にクモが定着したらしい。
そのことはAFPの記事にくわしく書いてある。
ポル・ポト時代の食糧難の名残、田舎で珍重される食用クモ – カンボジア
食用クモが現地の食卓に上がったのはクメール・ルージュ(Khmer Rouge )政権時代にさかのぼる。
ポル・ポト(Pol Pot)による農業重視の政策により、数百万人が農村での強制労働を強いられた。1975年から1979年までで最大200万人が死刑、飢餓、過労などで命を失ったが、このときカンボジア人は、必要に迫られてクモ、ネズミ、トカゲなどを含むあらゆるものを食べるようになった。
ポルポト時代が終わった後もクモを食べ続けているのだから、「食べてみたら意外とおいしかった」ということなんだろう。
カンボジア人はビールのおつまみにクモフライを食べるらしい。
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