日本にやって来た外国人は何を思う?
人や街の様子が心に残る人がいれば、日本の植物の美しさに目をうばわれる人もいる。
例えば、江戸時代に来日したシーボルトだ。
日本人が育てた植物を見て、彼はこんなことを言っている。
いかなる外国の植物群も、日本の観賞用植物ほど多様性と美しさを兼ね備えていない
「日本賛辞の至言33撰 (ごま書房)」
明治時代に日本を訪れたチェンバレンは、こうため息をついた。
日常生活の隅々まで、ありふれた品物を美しく飾る技術、都会の単調を破る公園の桜花、整然と菊花の咲いている庭園に日本の魅力がある。中でも美しい自然の眺めに心を奪われる。
「逝き日の面影 (平凡社)」
チェンバレンはいいとして、シーボルト(1796~1866)は高校日本史で習う重要人物だから、この機会に覚えておこう。
シーボルトはドイツ人の医者。
江戸時代後期(1823年)に日本へやって来た。
長崎の鳴滝で塾を開いて、西洋医学を日本人に伝える。
高野長英はシーボルトの教え子。
でも、日本地図を国外に持ち出そうとしたのがバレて(シーボルト事件)、彼は日本から追放された。
シーボルト
これは現代も同じ。
訪日した外国人で、植物の美しさが印象に残る人はいまもいる。
ある韓国人は、家の前にあったいろいろな花を見て「きれいだし、うらやましい」という感想を持った。
そしてをそれを、韓国のインターネット掲示板に書きこむ。
日本には花好きの人がたくさんいるから、自宅を花で飾る人もいる。
それは誰でも分かると思う。
だから、この韓国人が「きれい」と思うのは理解できるとして、なんでそれが「うらやましい」のか?
韓国では、家を花で飾ることができないのか?
家の外にキレイな花を出しておくと、どうなってしまうのか?
この書きこみに寄せられたコメントを読めば、韓国社会の負の部分が見えてくる。
「韓国では外に鉢植えを置いてはいけない。100%なくなる」
「私も庭で花を育てていたけど、おばさんたちに盗まれて今は1つも残っていない」
「母が経営している店では、営業中に盗まれたこともある」
以上のコメントは、レコードチャイナの記事(2018年6月9日)から。
韓国では、家の外に花を置いておくと、すぐ盗まれてしまうという。
日本を旅行して「日本がうらやましい」と思った韓国人にも、以前こんなことがあった。
家の前に小さい花を置くとよく盗まれた。
大きいものを置くと、植物だけ引き抜かれてしまった。
それでこの人は日本について、「盗まれないということがとてもうらやましかった」と書いている。
とはいえ、韓国では、家の前に花を置いておくと「百発百中で盗まれてしまう」ということでもない。
韓国市民は、みんながゴルゴ13のような人たちではない。
地域によっては、まったく盗まれないところもあるという。
近くて遠い国・韓国では、日本人からすると、こんな「なんで?」ということが起こる。
去年、韓国の統営市がソーラー街路灯を設置することにした。
でも、この事業は続かず、中止になってしまう。
理由は何だと思いますか?
ソーラー街路灯の中にある蓄電池を盗む人が続出したから。
統営市の担当者もこれにはお手上げ。
市民の良心に願うしかなかった。
レコードチャイナの記事(2017年5月20日)から。
「(ソーラー街路灯を)維持、補修、管理するにはある程度の限界があるため、利用する人たちの良心を願うしかない状況」
これには韓国のネットユーザーも、「後進国の国民だ。韓国には泥棒が多過ぎる」「韓国人は金になりそうなものは何でも盗む」と怒る。
なかには、「管理者以外の人が触れたら感電するように設計しよう」という画期的というか、末期的な解決策を提案する人もいた。
こういう出来事を知ると、日本を旅行した韓国人が、家の外に花を置いても盗まれないことが「とてもうらやましい」と思う理由が分かってくる。
シーボルトが「日本の観賞用植物ほど多様性と美しさを兼ね備えていない」、チェンバレンが「美しい自然の眺めに心を奪われる」と言えたのは、「花泥棒」がいなかったから。
でも、韓国の名誉のために言っておくと、世界的に見れば、韓国の治安はいい方だ。
日本の治安のよさが異常なだけ。
ソウルのカフェやレストランで、席取りのためにバッグを置きっぱなしにしているのを何回か見たことがる。
それに、日本人もあんまり人のことを言ってられない。
ボケられるほど平和な日本では盗難は少ないけど、「泥棒がたくさん出るシーズンがある」と知り合いのアメリカ人が言っていた。
実はそれがいま。
次回、そのことを書きます。
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