現在のインド人は、イギリス人の植民地支配をどう思っているか?

 

はじめの一言

*明治の日本について
「はかり知れない変化はまさに驚異であり、歴史のうえでも、くらべるものがないほどだ
(ネルー)」

「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」

ネルー

マハトマ・ガンディーとともにインド独立運動の最も著名な指導者となり、1947年に独立を達成したインドの初代首相に就任した。

国際政治では「第三世界」の中心的人物として注目された。国内の経済政策では計画経済を推進したが、成功を収めるには至らず、晩年に行き詰まりを見せる中、死亡した。

(ウィキペディア)

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今回の内容

・イギリスが廃止したサティーという悪習
・イギリス人の人権感覚VSヴァルナ(カースト)差別
・It is a past

 

・イギリスが廃止したサティーという悪習

インドはかつて、イギリスに植民地支配(1858年―1947年)されていた。
そこで、何人かのインド人にこんなことを聞いてみたことがある。

「今はイギリスについてどう思っていますか?」

「イギリス?イギリスは好きだよ」と言う人がほとんど。
聞いたボクがビックリするくらい、インドでのイギリスの人気は高い。

ただ、インド人がそう言ったとしても、植民地支配については悪い感情をもっている。
イギリスはインドの独立を奪って、多くのインド人を苦しめた。
でもインド人は、植民地時代にイギリスのしたことすべてが悪かったとは思っていない。

「イギリスはインドに悪いことしかしなかった」

そんなことを言うインド人に会ったことがない。

 

 

「なんでイギリスを好きなのか?」
その理由を聞くと、「イギリスは鉄道や学校をつくって、インドの近代化に貢献したから」といったものがほとんど。
前に書いた「サティーの廃止」ということも、イギリスがインドにした良いことのひとつ。

サティーとは、夫を亡くした妻に焼身自殺をさせるという残酷な風習のこと。
イギリスは統治時代にサティーを禁止する法律をつくっている。

1829年にベンガル総督ベンティンクによって、サティー禁止法が制定された。
また、1830年にはマドラス、ボンベイにおいても禁止法が制定された。
結果、禁止法の普及に伴って20世紀の初めにはサティーはほとんど行われなくなった。

(ウィキペディア)

こうしてイギリスは、法の力でサティーを廃止しようとした。

イギリスはインドを支配した理由はなにか?
一番の理由は、金もうけけのため。
刑座的な理由。

だからイギリスは、基本的にはインド人の生活を変えようとはしなかった。

概してインドの古い習慣や制度は、イギリスの政策に触らない限り温存して無駄な刺激を避けた。

(ウィキペディア)

イギリスにしてみたら、サティーを無視することもできたはず。
「ヒンドゥー教の儀式であるから我々には関係ない」とサティーを放っておくこともできた。
けれどそうはしなかった。
イギリス人の人権感覚からしたら、焼身自殺を強制するようなことを見過ごすことはできなかったのだろう。

 

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世界でもっとも美しい墓:タージマハル

 

・イギリス人の人権感覚VSヴァルナ(カースト)差別

イギリスはその人権感覚から、インドのヴァルナ(カースト)差別とも闘っている。
イギリスの統治下にあった1856年に、インドのボンベイ(今のムンバイ)でこんな事件が起きた。

ボンベイにある公立学校で、あるインド人の子どもが入学しようとしたところ、その学校の校長に拒否されてしまう。
当時のインドには、ヴァルナ制度のもと、社会の最下層におかれて差別を受けて苦しんでいた人たちがいた。
差別されていた子どもが入学しようとしたところ、校長がそれを拒否した。

その校長はその子どもを「穢(けが)れた存在」であると考えて、学校に来られては困ると思ったのだろう。
校長だけがそう考えていたのではなくて、それが当時のヒンドゥー教徒の常識だったはず。

 

でもイギリスが「待った」をかける。
この事態を知ったイギリスのボンベイ政府は、次のような声明を出す。

カースト、人種を理由にいかなる階級の人間に対しても教育の機会を拒否する公立学校には、政府の援助をあたえない。

総ての公立学校はその全臣民(その頃、インド人は英国王の臣下として扱われた)に対し差別することなく開放すべきである

(アンベードカルの生涯 光文社新書)

キリスト教徒のイギリス人にとっては、ヒンドゥー教の教えは関係ない。
バラモンやクシャトリアといったヴァルナも、ヴァルナによる差別もイギリスには存在しない。

 

当時のインドはイギリス領であり、イギリス(大英帝国)の一部だった。
だから、すべてのインド人は「イギリス人(英国王の臣下)」ということになる。
イギリス国民である子どもを学校に入学させないというのは、イギリス人の人権感覚からしたら許されないことだったのだろう。

だから、イギリスのボンベイ政府はこんな布告を出すことになる。

「公立学校はその全臣民(その頃、インド人は英国王の臣下として扱われた)に対し差別することなく開放すべきである」

それでもインド人はこの指令を無視してしまう。

 

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列車の中のチャイ(ミルクティー)

 

・大事なことは、インドの未来

ボクの場合、「植民地=絶対悪」という先入観をもっていたから、インド人からこんなことを聞いて驚いた。

「イギリスは好きだよ。インドでとても人気がある」
「イギリスは植民地時代に良いこともした。インドの近代化に貢献したよ」

イギリスがインドにした「良いこと」には、鉄道を敷設したといったハードの面と人権意識を高めたというソフトの面があるらしい。

中には、「インドが植民地支配されたのは、インド人が悪い」という人もいた。
その時代のインドは、各地に独立国があって日本の戦国時代のような状態だった。
インド人が互いに争いを続けていて、インドが弱体化したところをイギリスに支配されてしまった。
ということで、「争っていたインド人に責任がある」となる。

ボクが話を聞いたインド人のなかで、「植民地支配に良いことは何もない。すべて悪かった」という見方をしている人は1人もいなかった。
「全体としては悪だけど、その中には善もあった」
インド人はそんな感じに、イギリスの支配を客観的に把握しているように感じた。

 

イギリスの植民地支配をどう思うか?
そう聞いたところ、あるインド人はこんなことを言う。

「It is a past(それは過去の話だ)。今のイギリスは、ンドの良い友人だ」

これを聞いて思い出したことがある。
これとまったく同じことを、アフリカ人からも聞いた。

続きは次回に。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。