はじめの一言
「日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです(フレイザー 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
アメリカ人の友人が爆笑していたキリン。
「なんでキリンなんだよ?でも、こういう細かいところにまで気を配るのは日本人っぽいよ」
らしい。
最近、「政教分離」ということをテーマに記事を書いているのですよ。
特定の宗教団体が政治に介入したり、政府が宗教団体や個人の信仰に口を出すことを禁止するという原則が政教分離。
日本とトルコの決定的な違いがコレ。
今回の内容
・トルコの紹介
・日本との関係
・トルコでもっとも尊敬される人
・トルコの紹介
まずは、トルコという国を簡単にご紹介したい。
トルコの面積は「783,562km2」。
日本の面積は「377,972km2」だから、トルコは日本の約2倍の大きさになる。
人口は約7560万人で、日本の人口(1億2711万人)と比べると約6割といったところ。
首都はイスタンブールではなくて、アンカラ。
GDP(国内総生産)は1兆4,435億ドル。
東京のGDPが1兆6167億ドルだから、東京の少し下といったところ。
東京のGDPがすごすぎて、東京都知事にはちょっとした国の首相なみの力があるのだ。
宗教は予想どおり圧倒的にイスラーム教徒が多い。
トルコでは人口の99%がイスラム教徒ですが、イスラム以外の信仰の自由も保証されています。 (トルコ政府観光局)
ご覧のようにトルコという国は、ヨーロッパとアジアの境にあって、「東と西が出会うところ」と呼ばれることがある。
トルコ政府観光局のキャッチコピーは「東洋がある。西洋がある。いくつもの物語がある。」だ。
で、そんなトルコはヨーロッパの国か? それともアジアの国なのか?
トルコ政府の公式見解ではヨーロッパの国になっているが、EUの加盟がなかなか認められないし、政治的にも微妙な立場だ。
でもサッカーでは、ヨルダンやシリアがいる西アジアサッカー連盟ではなくて、ヨーロッパの「欧州サッカー連盟(UEFA)」に加盟している。
・日本との関係
日本との関係といえば、なんといっても「エルトゥールル号遭難事件」だろう。
明治時代に和歌山県沖でエルトゥールル号が暴風雨で沈没した時、付近の住民が懸命に救出作業を行って多くのトルコ人の命を救った。
日本・トルコの友好を語るうえで欠かせない出来事でトルコ人は知っていても、日本ではあまり知られていない。
それと日露戦争で、日本の勝利がトルコに与えた影響も見逃せない。
日露戦争が日本の勝利に帰すと、長らくロシアから圧力を受け続け、同様にロシアの南下圧力にさらされる日本に対して、親近感を高めていたオスマン帝国の人々は、東の小国日本の快挙としてこれに熱狂した。
日本海海戦時の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎提督にちなんで、トーゴーという名を子供につけることが流行したという。(ウィキペディア)
東郷平八郎
・トルコでもっとも尊敬される人
以前トルコを旅したとき、現地の人にこんなことを聞いてみた。
「トルコでもっとも尊敬されている人物は誰ですか?」
いちばん多かった答えが「そりゃ、ケマル・アタテュルクさ」というもの 。
トルコの歴史上の人物で、もっとも人気があって尊敬を集めているのは、このアタテュルクという人だろう。
高校の世界史でも習う重要人物でもある。
トルコ最大の国際空港「アタテュルク国際空港」は、このアタテュルクから名づけられている。
アタテュルク
トルコ政府観光局のHPには、アタテュルクについて次のように書いてある。
オスマン帝国が衰退した後、兵士でありながら非常に野心家であったムスタファ・ケマルという若者が、第一次世界大戦での敗北を期に、外国の侵略者からトルコの自由を勝ち取りました。
ムスタファ・ケマル・アタチュルクは1923年の10月29日にトルコ共和国を建国し、平和と安定を築くことにより驚異的な経済発展と徹底した近代化を実現しました。
なんで、アタテュルクはトルコ人から尊敬されているのか?
それを次回書いていきます。
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