アメリカ人やイギリス人とお寺に行ったとき、「それはひどい!」と言われた話がある。
それは戦場ヶ原、ではなくて「賽の河原(さいのかわら)」のこと。
賽の河原は三途の川にある河原で、親より先に死んだ子供が行く所といわれる。
ここで子供たちは小石を積み上げて塔を作ろうとするのだけど、それが完成するとき、鬼が現れて塔を崩しやがる。
だから子供たちは、永遠に石を積み続けるという苦しみを受けることになる。
そんな話をすると、外国人は「ひどい」とか言う。
キリスト教(プロテスタント)では、80歳を超えて亡くなった人は「十分に生きた」ということで、みんなで祝福することがあるという。
でも子供が死んだばあいは、悲しみしかない。
だから、永遠の苦しみを受けるという仏教の考え方は残酷すぎるという。
でも救いはあって、地蔵菩薩が助けにやって来ると信じられているのだ。
賽の河原
さて、ここからは日本と韓国のはなし。
きのうこんなNHKニュース(2018年12月11日)があった。
「元慰安婦が望むのは安倍首相の謝罪」韓国の国会議長
韓国の文(ムン)国会議長が慰安婦問題について、「元慰安婦が望むのは安倍総理大臣の謝罪だ」と言って日本に“適切な対応”を求めたという。
は~。
ため息以外に出るものがない。
日韓は何十年も慰安婦問題でもめていて、韓国はくり返し「心からの反省」や「真の謝罪」を要求してきた。
でも日本は何度も謝罪やお詫びをしている。
だから、そんなくり返しにウンザリする人も多かった。
2013年の中央日報のコラムには「いったいどれほど、さらに謝ればいいのか?」とたずねた日本人に、「上手にできるまで!」と韓国人記者が答えたという話がある。
この言葉は半分本気(=半分本気)だけど、こんなやり取りが本当にあった。
ミカサに言われるまでもなく、そんなやり取りは不毛だ。
だからどこかでケリをつけて、未来志向の日韓関係をスタートさせる必要があった。
それで日韓両政府は2015年に、慰安婦問題の最終解決で合意したのだ。
安倍首相はこの合意にもとづいて、心からのお詫びを表明する。
韓国側はこれと10億円の支援金を受け取った。
これで終わりなのだ。
普通の国なら。
合意から3年たったいま、韓国の国会議長はこう発言している。
「元慰安婦が望むのは金ではなく、安倍総理大臣の謝罪のひと言だ。歴史の前に時効はなく、首脳間の合意は何の役にも立たない。それがなぜできないのか。今からでも遅くない」
「元慰安婦が望むのは安倍首相の謝罪」韓国の国会議長
そうか。なるほど。
だが待ってほしい。
いま大事なことは、韓国が日本との約束を守ることのはず。
具体的には、ソウルの日本大使館前にある慰安婦像を撤去することだ。
それを無視して、「それがなぜできないのか。今からでも遅くない」と言うのはツッコミ待ちなんだろうか?
3年前に合意を結んだ目的は何か?
その大きなものは、「安倍総理大臣の謝罪のひと言だ。歴史の前に時効はない」と韓国が言い出さないことだ。
日韓合意は崩されて、また過去に戻ってしまったから、まるで賽の河原で石を積む子供の気分になる。
賽の河原(賽の河原の石積み)という言葉には、「無駄な努力」とか「きりがない」という意味もある。
歴史問題について韓国文政権と話し合うことがまさにそれ。
一切は空にして無。
あると思っても実は何もないのだ。
これについては、アメリカ人もイギリス人も「それはひどい!」なんて言ってはくれない。
日本と韓国で何とかするしかない。
でも、「首脳間の合意は何の役にも立たない」という相手と話し合ってどんな解決ができるのか。
もうため息しか出てこない。
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