少し前に、朝鮮日報のこんなコラム(2017/11/12)を紹介した。
韓国を無視する国々にあって韓国にはないもの
このコラムでは、「ドイツはしっかり謝罪したのに、日本はまだしない」と、日本とドイツの戦後の対応のちがいについて書いてある。
でも、日本とナチス=ドイツを比べること自体が間違っている。
そのことは、この記事で書いた。
日本はナチスのホロコーストのように、「朝鮮人の絶滅」を目的とした虐殺をしてはいない。
朝鮮日報のコラムにはこんなことも書いてあった。
日本は「韓国にいつまで謝罪しなければならないのか」と言うが、彼らの心の内には「謝罪」などない。
こんな文章を読むと、「韓国は一体いつまで日本に謝罪を要求するのか?」と疑問を感じる日本人は多いと思う。
最近も、韓国メディアにこんな記事(2017.11.18 )があった。
‘뉴욕 소녀상 찾은’ 秋 “일본, 위안부 부정말고 사죄해야”
ニューヨークにある少女像を訪れた韓国の政治家が、「日本は必ず謝罪しなければならない」と言っている。
でも、韓国はその前にやることがある。
2015年の日韓慰安婦合意にもとづいて、日本大使館前に建てられた慰安婦像をどかさなければいけない。
韓国は自分のやることには目を向けないで、日本に謝罪を求めてはいけない。
「日本は韓国にどれだけ謝罪すればいいのか?」
2013年の中央日報のコラムによると、それは「上手にできるまで!」だ。
私の記憶では最近10年間在任した8人の首相すべてがさまざまな席で謝罪を表明した。
国を象徴する日王(日本では天皇)もまた、痛惜の念を表わしている。それは認めよう。
そのためか、親しい日本の記者たちは私にお酒の席で「いったいどれほど、さらに謝ればいいのか?」と問い詰めたりする。そのたびに冗談半分・本気半分で応酬する言葉がある。「上手にできるまで!」
佐々江大使さま、形容詞が違いますよ
これは個人のブログではない。
韓国で影響力のある全国紙の東京総局長が書いたコラムだ。
日本と韓国のことをよく知り、言葉に重い責任を持っている人がこんなことを書いている。
「上手にできるまで!」という言葉を、半分本気で言っていることに驚く。
このコラムが新聞に載せられるまでには、複数の人間がチェックしているはずだ。
だから、この内容は韓国人の考え方や常識をあらわしていると考えていい。
過去の問題については、日韓の間でこれまでに2回解決している。
戦後補償問題については、1965年に「完全かつ最終的に解決」した。
慰安婦問題については、2015年に「最終的かつ不可逆的に解決」した。
さすがに「最終的な解決」のラウンド3はない。
日本の首相や天皇が「謝罪」「痛惜の念」「心からのお詫び」を表明しても、「彼らの心の内には「謝罪」などない」と言われたらもうあきらめるしかない。
なんで韓国の謝罪要求は終わらないのか?
韓国にくわしいジャーナリストの黒田勝弘氏は「民族的快感」を指摘した。
韓国にとって日本はいつまでも謝罪、反省、補償をしない存在であってほしいのかもしれない。
いつまでも日本を叱り、諭し、教え、導くことができるからだ。この民族的快感は捨てられない。
この民族的快感のゆえに、日本がたとえいくら謝罪、反省を表明し補償したとしても、それは終わらない、いや韓国にとっては終わらせたくないのだ。
「‘日本離れ’できない韓国 (文春新書) 黒田勝弘)」
今年(2017年)1月の「あさチャン!」は、釜山に設置された慰安婦像で行われた”儀式”を取りあげた。
番組のキャプチャー
市民団体が安倍首相が少女像にひざまずいて、謝罪するパフォーマンスをしている。
この理由も「民族的快感」のためだろう。
日本への謝罪要求を終わらせたくないのだから、終わるわけがない。
そんな態度に疲れた日本人に安倍首相のこの言葉はとても響いた。
あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
「内閣総理大臣談話」
もう謝罪は終わりで、日本は韓国と対等な立場で接するべきだ。
こちらの記事もいかがですか?
東南アジアに反日感情はある?→「日本は、いつまで謝るってるの?」
もともと韓国についてまったく興味がなかったのですが、ここ一年くらいで慰安婦問題や起源主張などで知るようになり、調べているうちに生理的に無理と思うようになりました(>_<)
できるだけ国としても付き合わなくてよい方法が見つかれば良いなと思います。
韓国には、日本を利用する「用日」という考え方があります。
日本もこれにならって、用韓でつき合ったらいいと思います。
対北朝鮮や貿易など、なんだかんだいって韓国とのつき合いをなくすことはできませんしね。