八甲田山死の行軍~最悪のタイミングで最悪の選択~

 

*最近、サーバーのトラブルで記事が書けませんでした。
ということでチョイと時差があります。

 

さて、今回はクイズから。
1月25日は何の日か?

 

この日は、中華まんの日、左遷の日、さらに「ホットケーキの日」でもある。
でも、この日がホットケーキの日というのはイマイチ知られていない。

それで昨年末、森永はこんなツイートをしていた。

 

では、なんで1月25日がホットケーキの日になったのか?

その理由はとてもシンプルで、この日が「日本で最も寒い日」だから。
1902年1月25日、北海道旭川市で-41.0℃という気温を記録した。
公式記録としてこれ以下のものはない。

日本最低気温を記録した日だったことから、「ホットケーキであったまろう」という発想につながってこの記念日ができたというわけっす。
ちなみにこの日が「中華まんの日」である理由もこれと同じ。

 

さて、そんな日から約10日後、陸上自衛隊東北方面隊がこんな凍えるようなツイートをしていた。

 

ここに「1902年に実施した八甲田雪中行軍と同じ経路の224キロを機動」とある。
これはいわゆる「八甲田山死の行軍」のこと。
日本の山で起きた遭難事故としてはこれが最悪の惨事で、参加者210名のうち199名が死亡した。
もう「全滅」と言っていい。

日本の最低気温を記録した1902年1月25日は、“死の行軍”の真っ最中だった。

 

八甲田雪中行軍が行われたのは、日露戦争の2年前。
このとき日本軍はロシアとの戦争を想定して、厳寒地で戦う訓練を必要としていた。
それでこんな訓練をしたわけだけど、結果的に日本兵の命を奪ったのはロシア軍ではなく、日本の自然だった。

この行軍が行われた時は、過去にないようなシベリア寒気団が来ていて、日本各地で最低気温を記録していた。
これも結果論だけど、この訓練は中止するべきだった。
最悪のタイミングで最悪の決断をしてしまったことで、前代未聞の悲劇を引き起こしてしまう。

1902年1月25日、日本陸軍の兵士は青森県の八甲田山をさまよっていた。
この日、神成という兵士の「天は我らを見捨てたらしい」の一言で、絶望のあまり精神がおかしくなった者が続出したという。

矛盾脱衣を始める者、「この崖を降りれば青森だ!」と叫び川に飛び込む者、「筏を作って川下りをして帰るぞ」と叫び、樹に向かって銃剣で切りつける者など発狂者が出てくるほか、凍傷で手が利かず、軍袴のボタンを外せぬまま放尿し、そこからの凍結が原因で凍死する者など死者が続出した。

八甲田雪中行軍遭難事件

後藤房之助伍長はこの状態のまま、仮死状態で発見された。

 

約100年前の兵士の無念を胸に刻んで、同じ経路をたどった陸上自衛隊の隊員には、ネットでも称賛の声が上がっていた。
…というわけでもない。

・みんなここには配属されたくないんだろうな…
・途中で気さくに挨拶してくる大隊と出くわしたら嫌だな
・聞きたいんだけど、近代戦で雪中行軍する可能性ってのは実際あるの?
・おお、雪の中に突然温泉が出たゾォー わーい
・ちょっとオイラも見学に行ってくる
・GPSとヒートテック禁止
・後日談だかで、成仏出来ずに隊列組んで駐屯地まで帰還しようとする亡霊の群れに向かって、
司令官が一喝して回れ右号令かけて退散させたエピソードがあったな。
・映画で裸になって凍死するのあれ大竹まことなんだぜぇ、これ豆(

 

本日のオチ

森永はホットケーキの日を有名にさせたかったら、「嬉しいプレゼントキャンペーン」もいいけど「八甲田山の冬季行軍」が終わった隊員にあったかいホットケーキの差し入れをしてはどうか?
その様子をツイートしたらいいと思う。

 

このあとに食べるホットケーキはきっと人生最高。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。