国際母語デー:バングラデシュが国連に提唱。その悲しい歴史

 

2月21日に、知り合いのバングラデシュ人がフェイスブックにこんな書き込みをしていた。

Do you know when is International mother language day?
Please read it and learn a new information for your basic knowledge.

「International mother language day(国際母語デー)」がいつか知ってるかい?と聞いている。
もちろんそれは2月21日。
国際母語デーとは、世界にある全ての母語を尊重するよう国連が制定した国際デーのひとつ。
くわしいことはここをクリックして見てほしい。

国際母語デー

これを見て思い出した。
バングラデシュ人は母語(ベンガル語)をとても大事にしていて、それには悲しい歴史があったことを。

 

バングラデシュはもともとパキスタンの一部で、「東パキスタン」と呼ばれていた。
でも独立戦争ののち、1971年に独立国となる。

 

西の緑がパキスタン(以前は西パキスタン)、東の緑がバングラデシュ(以前は東パキスタン)

 

バングラデシュ人がパキスタンからの分離独立を望んだ大きな理由に「言語弾圧」があった。

1947年から1971年の間、東パキスタンの主導権は西パキスタンに握られていた。
その象徴がウルドゥー語の公用語化。
ベンガル語を使うバングラデシュ人を無視して、西パキスタンが使うウルドゥー語だけを公用語にしてしまう。

「母語の使用を禁止された」ということは日本の歴史にはないから、この辛さや屈辱は日本人には分かりにくいと思う。

1952年2月21日、ベンガル語を公用語とすることを求めるバングラデシュの人たちとパキスタン軍が衝突。
この日がいまのバングラデシュで、「ベンガル語公用語運動の日」という祝日となっている。
バングラデシュ人は母語の大切を痛みと共によく知っている。
そんなバングラデシュの提唱を受けて、1999年に国際連合がこの日を国際母語デーにした。

さあ、いまならこの質問に答えられるはず。

Do you know when is International mother language day?

 

1952年、現首都ダッカでおこなわれたベンガル語運動

 

ベンガル語を守るために命を失った人たちを追悼する碑(ショヒド・ミナール)。

1952年2月21日、母国語であるベンガル語の対等な社会的地位を要求したベンガル人の主張者へ、パキスタンの警察隊が発砲し、多くの学生と政治活動家達が殺害された。

ショヒド・ミナール

 

1952年のベンガル語公用語運動が1971年のバングラデシュ独立戦争につながっていく。
この戦争では、9ヶ月で300万人の犠牲者が出たと言われる。

くわしいことはここをご覧あれ。

バングラデシュ独立戦争

 

日本の歴史には、日本語を禁じられたという悲しい出来事がない。
それはいいことなんだけど、そのせいか日本語に感謝する気持ちも薄いと思う。
「ベンガル語公用語運動の日」という祝日もないし、韓国のような「ハングルの日(10月9日)」もない。
「ひらがなの日」はハッシュタグ程度にある。

英語をはじめいろいろな外国語を学ぶこともいいけど、日本人ならまずは日本語を大事にしたほうがいい。
とくに日本文字のひらがな。
ひらがながなかったら、いまの日本文化はありえない。
1年に1日、国際母語デーには日本語に感謝しよう。

 

おまけ

首都ダッカの様子

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。