【史上最悪の作戦】インパール作戦で、イギリス兵が見た光景

 

太平洋戦争のときに決行された日本軍のインパール作戦は、令和のいまでは「悲劇」や「無謀」の代名詞となっている。
このまえ8月15日に終戦記念日があったことだし、これから日本史に残る愚行について書いていこうと思う。

 

まずインパールというのはインド北東部にある都市のこと。
下の地図でいうと北海道のあたりがインパールになる。

 

当時インドはイギリスの植民地で、ここから日本と敵対する中華民国へ武器などの軍事物資が運ばれていた。
次から次へと武器や弾薬が運ばれたら、中国軍との戦いは終わらない。
日本軍はそのルートを、中華民国総統の蔣介石を援助するためのルートということで「援蔣ルート」と呼んだ。

 

援蔣ルートのひとつ
インドのアッサムから中国の昆明に続く「レド公路」

 

日本はこのルートを遮断するため、拠点となっていたインパールを攻撃して制圧することを決める。
それが1944年に行われたインパール作戦だ。

でも、食糧補給すらろくに考えないまま大量の日本兵を送りこんでしまい、イギリス軍と戦う以前に、飢えやマラリアなどで命をうしなう兵士が続出。

極度の飢えから駄馬や牽牛にまで手をつけるに至るも、死者・餓死者が大量に発生する事態に陥った。また、飢えや戦傷で衰弱した日本兵は、マラリアに感染する者が続出し、作戦続行が困難となった。

インパール作戦・戦線の膠着

 

結果として3万人を超える犠牲者をだした。
無茶・無謀・無理の3つの無が完全にそろったこの作戦は「史上最悪の作戦」ともいわれる。

この作戦を強行した牟田口廉也(むたぐち れんや)中将は「無能」「愚将」「卑劣」の名をほしいままにしている。

死去までの約4年間はインパール作戦失敗の責任を問われると戦時中と同様、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と頑なに自説を主張していた。

牟田口廉也

イギリス軍兵士

 

このインパールの悲劇をいまに伝えるインド人がいる。
そんな朝日新聞の記事があった。(2019年8月13日)

インパール作戦「日本兵かわいそう」地元が語り継ぐ歴史

「戦跡観光」の会社を立ち上げて、インパールで戦争関連の場所を案内するカンジャムさんはこう話す。

「攻撃はいつも夜中でした。想像して下さい。真っ暗で豪雨の中、飢えや病気に苦しみながら戦ったんです」
「これは私たちの歴史」
「地元はずっと軽視され、孤立してきた。同じように忘れられてきた戦争の記憶も残さないと、忘れ去られてしまう。これは私たちの歴史だから」

インド人が「これは私たちの歴史」と言っているけど、まずは日本人が記憶しないといけない悲劇のはずだ。

この記事にネットの声は?

・あの頃は国民の大半は実はヤベーんじゃねえかって思ってたらしいね
連日の空襲警報と相まって
・かわいそうで止まってるからダメなんだよ。
デタラメな作戦指揮した戦争責任者を糾弾しないと。
・母方の親類がこの作戦の犠牲者だよ
・日本人と下っ端日本兵にとって最大の敵はアメリカでもなくアジアの国々でもなく日本の上層部だったな
・太平洋戦争といえばインパールか特攻かって印象
・日中戦争を止めなかった近衛文麿と、インパール作戦を指揮した牟田口は物凄いバカ

 

日本軍のいうインパール作戦を戦ったイギリス軍兵士が、撤退したあとの日本軍の野戦病院に入るとこんな光景を目にした。

その死体のかたわらには、兵士の妻や子ども、恋人の写真、富士山や桜の花、梅の花の絵葉書、そして日記帳などが落ちていた。今際(いまわ)のきわに、思い断ち難く眺めていたと思われた。胸が締めつけられるような光景だった

「責任なき戦場 インパール (角川文庫)」

ミャンマー(当時はビルマ)にあった慰霊碑

 

 

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2 件のコメント

  • こういう悲しい歴史はちゃんと受け継いで歴史の反省をしないといけませんね。
    相手が悪いばかりでなぜ戦って守らなかったのか反省をしない国もありますが。
    私たちは「もう繰り返さない」をずっと守っていきたいですね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。