小説家の豊島与志雄が日本統治時代の台湾を訪れたとき(1942年:昭和17年)、彼は台湾の山河に圧倒された。
台湾の印象は、まず山と川から来る。(中略)台湾東部の山と川はすべて、一般に強い印象を与える。台湾には、一万尺を越える高山が主峯だけでも四十八ある。
「台湾の姿態 (豊島 与志雄)」
日本は四季の豊かさなら勝てるけど、自然の雄大さでは台湾にかなわないと思う。
今回はそんな台湾の山についての話。
ことし6月、梅雨直前の日本に3人の台湾人がやってきて、大量のお土産を買ったことは前回書いた。
この中の1人が、富士山は日本のシンボルで、台湾人ならだれでも知っている。だからどうしても見たいと言う。
「せっかく静岡にいるし、少しでも見えたら、そこから全体の大きさを想像できる」としつk、いや熱心に言うから、とりあえず田貫湖へ行くことにした。
でも、6月に富士山を見るという発想がそもそも間違っている。
と思ったのだけど、田貫湖に近づくにつれ、富士山をおおっていた雲が消えていき、湖に着いたときには10分ほどだけど、富士山をまるごと見ることができた!
ということはなく、やっぱり1ミリも見えやしない。
富士山なしの田貫湖
これが見たかったのに。
富士山が日本で一番高い山ということは3人とも知っていた。
台湾で最も高い山を聞いたら、台湾島の真ん中にある「玉山」と言う。
亜熱帯の台湾でも、冬になるとここは白い雪におおわれるとか。
標高3,952mで富士山より200mほど高い。
「玉山」と聞いて思い出したけど、この山はかつて日本一高い山だった。
日清戦争の勝利によって台湾が日本の一部になった時代、ここが富士山より高いということで、明治天皇によって新高山(新しい日本最高峰)と名付けられたという。
富士山が「日本一」の称号をゆずったのは歴史上、このときだけ。
この話は3人とも知らなかったけど、経緯を知れば「なるほど」と納得。
「一万尺を越える高山が主峯だけでも四十八ある」という台湾の自然はやっぱりすごかったのだ。
1941年12月2日、大日本帝国海軍が「新高山登レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」という暗号電文を送った。
12月8日は真珠湾攻撃の日で、この電文は太平洋戦争の開始を告げたものとして有名。
アメリカに攻撃をしかけることを、当時の日本軍は「新高山登レ」と表現した。
もし台湾が日本の領土でなかったら、「富士山登レ」になっていたかもしれない。
玉山
2014年に元日本一と現日本一が手を結んだ。
くわしいことはtaiwantodayの記事(2014/02/11)をどうぞ。
台湾最高峰の玉山(3952メートル)と、日本最高峰の富士山(3776メートル)が7日に友好山提携を締結した。
台湾の玉山と日本の富士山が友好山提携に調印
玉山が富士山を抜いて日本一高い山だったことを知っている台湾人は少ないと思う。
いつか台湾の人たちと話す機会があったら、この話題をぜひ。
日本統治時代を嫌う人は少ないから、問題ないと思う。
おまけ
台中にある「宮原眼科」に行くと、台湾人があの時代をどう思っているのかわかる。
ここは日治時代の1927年に宮原武熊という眼科医が開いた建物で、当時の雰囲気をいまに伝える観光スポットになっている。
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