シンガポールのリー・シェンロン首相と夫人のホー・チン氏が韓国を訪問した。
韓国とシンガポールの友好を深めるために、ムン大統領夫人のキム氏がホー氏をソウルの観光名所・昌慶宮(チャンギョングン)という王宮を案内した。
日本にはまったく関係ないことで「それが何か?」と思ってしまう出来事だけど、ヤフコメを見ると「2260:9」の割合で韓国が批判されている。
キーワードは「反日」と「告げ口外交」だ。
世界での日本の評判を下げたり日本を孤立させたりするために、韓国のパククネ元大統領が第三国の要人に日本の悪いウワサを吹き込んでいた。
それがあまりにひどく、岡田・民主元代表が「どうして第三国に行って日本の悪口を言うのか。そういうことが日本人の感情を非常に傷つけている。」と苦言をていするほど。
くわしいことはこの記事をどうぞ。
今回、キム(金)夫人がシンガポールのホー夫人におこなった「反日告げ口外交」がこれ。
中央日報の記事(2019.11.24)
ホー氏は「韓国を経験し社会を見る良い機会と考える」と答えた。
金氏は昌慶宮が日帝時代に多く毀損された悲しい歴史を持っていると説明し、ホー氏も深い関心を見せた。昌慶宮散策した文大統領夫人「日帝時代に毀損…復元中」
韓国を知る良い機会にしたいというホー夫人に、この王宮の建物は日本によって破壊されたと告げるキム夫人。
これが記事のタイトルになっているように、韓国ではこれが重要。
「大統領夫人が日本の蛮行を海外に伝えた」と国民に伝えると、しっかり仕事をしていると評価される。
でもそれは韓国国内の話で、日本では「なおも反日を続ける文氏周辺」「告げ口の横行は止まらない」と受け止められる。
「どうして第三国に行って日本の悪口を言うのか。そういうことが日本人の感情を非常に傷つけている」と岡田氏が怒っていたころと変わっていない。
でも価値観が根本から違うから、韓日のこの認識のギャップは埋められない。
ただ、日本統治時代(日帝時代)に「多く毀損された悲しい歴史」というのは、具体的にはこういうことだ。
大韓帝国第2代皇帝・純宗のために、日本は1909年に昌慶宮内の宮門や塀を壊して動物園や植物園をつくった。
1911年4月には博物館を建て、昌慶苑に改名した。独立以後にもソウル市内の第一の遊園地として脚光を浴びた。
キム夫人が伝えたのは日本が建物を壊したことだけで、そのあと一般に開放されて、庶民の憩いの場となったことについてはきっと何も言っていない。
ちなみに昌徳宮に行って日本語ガイドから、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに日本軍が建物を焼いたと説明を受けた人がいるかもしれないけど、それは明らかに違う。
景福宮と同じように、ここの建物を燃やしたのも朝鮮の民衆だった。
それはこの記事をどうぞ。
景福宮の日本語ガイドさん、王宮を焼いたのは日本人じゃないですよ。
それにしてもソウルには景福宮、昌徳宮、昌慶宮、徳寿宮、慶煕宮と王宮がたくさんある。
現代ではそれがソウル観光の魅力になっているけど、昔は逆にそれが人々を苦しめた。
ハンギョレ新聞の記事(2017.02.02)
連れて行かれ賦役した民衆の苦痛の痕跡が残っているはずだ。(中略)君主たちは宮廷の工事の度に庶民を動員し、労役と資材の供出を強要した。それだけでなく無理な宮廷建築事業は政権の危機と没落をも招いた。
韓国宮廷の建築過程に初めて光を当てたが、職人や庶民の苦悩には…
キム夫人はこの点もスルーしただろう。
それよりキム夫人には反日告げ口外交よりもっと大事なことがある。
文大統領はGSOMIA破棄を発表して、日米韓を混乱させたあげく、3か月後に「やっぱりやめた」と元に戻した。
無責任な言動で国民に負担をかける夫にしっかり忠告してほしい。
こちらもどうぞ。
アジアの人たちは日本の戦争責任を聞きたいのか?謝罪より支援。
昭和・平成(前半)の時代、昔はシンガポールも結構反日感情が強い国でしたけどね、中国系住民が主である国だけに。でも、90年代くらいからほとんどそのような反応は聞くことがなくなりました。今ではすっかり親日国ですよ。地道な外交努力と経済支援事業などのたまものだと思います。
東南アジアで反日感情はないと言っていいと思います。
台湾もありませんし、中国も最近は何も言いません。
韓国だけです。