韓国でもっとも尊敬されている歴史上の人物といえば、朝鮮国王の世宗(セジョン)だろう。
世宗は少なくともそのトップ3には入る、韓国人ならだれでも知ってる有名人。
その業績はなんといっても、現在の韓国人が毎日つかう「ハングル」という民族文字をつくり出したことにある。
韓国人はハングル文字に深い愛着と誇りをもっていて、韓国紙も「その優秀性を世界的に認められることになった」なんて書いちゃうぐらいだ。
もちろんこれは悪いことではない。
韓国人をみならって、日本人も平仮名にもっともっと関心をもつべきだと常々思う。
世宗
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漢字文化圏であり漢字以外文字はなく話し言葉以外に意思を伝える術を持たなかった当時、漢字の読み書きが出来ない民衆を哀れに思い1446年に表音文字である訓民正音を制定。
ハングル(当時は訓民正音)は15世紀に誕生した。
でもその文字が朝鮮半島に広く浸透したのは19世紀後半のこと。
大分大学の大学院教授・今村裕(いまむら・ゆたか)氏によると、韓国の子供たちがハングルを知った背景には福沢諭吉の協力がある。
産経新聞のコラム(2019.8.19)
その文字を、朝鮮半島の子供に広めようとしたのは日本です。当時、朝鮮半島には本を大量に作る印刷所も製本所もなかったので、最初のハングルの教科書は東京で作られました。そして最初のハングルの活字を作ったのが福沢諭吉でした。
日帝残滓の清算、ハングルも追放するのか
ハングル文字の分かりやすさに注目した福沢諭吉は教科書のほかにも、ハングルで書いた新聞の発行にも尽力する。
それが『漢城周報』で韓国の歴史上、この新聞で初めてハングル文字が採用された。
*他に漢文と国漢文(漢字とハングルの併用)も使われていた。
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このハングル活字は『漢城旬報』発行の際にハングルの採用を求めていた福澤諭吉が築地の活版所で造らせておいたものを井上が買い受け、不足していた活字を新たに鋳造させたものであった。
漢城周報の発行には兪 吉濬(ユ・ギルチュン:1856年 – 1914年)が大きくかかわっている。
慶応義塾で学んでいたユ・ギルチュンは福沢諭吉に師事して、漢字とハングルを併用した国漢文を練習していたのだった。
福沢はユ・ギルチュンの話から、朝鮮(韓国)についての理解を深めて、近代化のためにはハングルで新しい情報や価値観などを国民に伝えるべきだと考えていた。
少なくとも、1880年代から1895年 代までの試みからするなら、兪吉濬の著作や『漢城周報』などに使われた初期の国漢文混用文は福沢の俗文主義から生まれ たものといわれて過言ではないだろう。
*これは日本女子大学の学術情報リポジトリにあったものだけど、現在はリンク切れ。
ひょっとしたら復活するかもしれないから、一応リンクは残しときますね。
朝鮮半島に行って直接ハングルを人々に伝えたわけではないけど、福沢諭吉のさまざまな支援があってハングルが普及していったことは歴史の事実。
だから「福沢がハングル文字を広げた」というのは言い過ぎとしても、その意図があって具体的に努力したのだから、福沢が“広めた”と“ ”付きなら言っていいだろう。
世宗がつくったハングルを福沢諭吉が“広めた”のだ。
韓国だったら恐ろしくてこんなことを書けないけど、日本人としてこういう歴史があったことは知っておいたほうがいい。
*韓国で福沢諭吉は「アジア蔑視および侵略肯定論者」と見られていて、とても嫌われている。
くわしいことは脱亜論を。
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ハングル文字を韓国へ広める「きっかけ」を作ったのは福沢諭吉であり、実際に広める活動に貢献したのは、その福沢諭吉が作った教科書を使って韓国人に教育を与えた明治政府ですね。
まあ、韓国人はそんなことを認めようとはしませんが。
国民感情に反することだから認めませんね。
台湾と違って韓国の歴史教育は一面的ですから。