イギリス人がみかんを「Satsuma」と呼ぶ理由 ① 始まりは生麦事件

去年の冬、イギリス人の友人とこたつに入って、みかんを食べながら話をしていると彼がこんなことを言った。

「イギリスではみかんを『Satsuma』って言うんだぜ」

これから、その歴史について書いていこう。

目次

イギリスでは「サツマ=みかん」

「サツマって、昔の日本にあった薩摩藩のこと?」

「そう、イギリスではみかんをサツマと呼ぶ。『Satsuma』は英語っぽい響きじゃないから、勝手に中国の地名だと思っていたけどな」

「それは今年最後に知った衝撃的な事実だ…」

「サツマ」という言葉が百歩ゆずって「サツマイモ」なら分かるが、なんでイギリスでは「みかん」を意味するのか?
その由来について調べてみると、ロンドンで暮らしている日本人のこんなブログを見つけた。

幕末期に薩英同盟が結ばれた折に友好の証として薩摩藩から英国に苗が贈られた事に由来するんだそうです。

「サツマ」というみかん

 

ここに書いてあるように、幕末、イギリスと薩摩藩はとても良い関係にあった。しかし、その友好関係は、薩摩藩の藩士がイギリス人を切り殺したことから始まっている。

 

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イギリスのスーパーで売られている「Satsuma」

生麦事件

幕末の1862年、薩摩藩の最高実力者であった島津久光と家来の一行が移動していると、4人のイギリス人がその行列の前を横切ってしまった。
当時の日本の考え方からすると、これは絶対に許せない無礼なことだったから、薩摩藩の藩士が激怒し、刀を抜いてイギリス人に切りかかった。この「生麦事件」で1人が死亡し、2人が重傷を負った。
こんな日本の常識が外国人に通じるわけがなく、今度はイギリス側が激怒し、薩摩藩に対して賠償金の支払いと犯人の処刑を求めた。

「一撃必殺」の示現流

この事件で襲われたイギリス人はとんでもなく運が悪かった。というのは、当時の薩摩藩は、日本の中でも特に武芸の盛んな藩として有名だったから。
薩摩の剣術は「示現流」と言って、特に最初の一撃に凄まじい破壊力があった。そのため、「一の太刀を疑わず」とか「二の太刀要らず」などと言われていた。
最初の一撃で敵を仕留めるから、2回目の太刀は必要ないということで、まさに一撃必殺の剣。
(実際には、必ずしもそうもでなかったようだけど。)

他の藩の剣豪と言われるような侍であっても、薩摩の侍とは立ち合いたくはなかっただろう。新撰組局長の近藤勇もとくに警戒していて、「薩摩者と勝負する時には初太刀を外せ」と言ったという。

島津久光を守っていた藩士なら、当然、薩摩藩でも指折りの剣の達人だったはずだ。つまり、当時の日本で最強レベルの侍だったと考えていい。そんな薩摩者に斬られたイギリス人の死体はあまりにすさまじく、日本にいた外国人を震え上がらせた。

しかし、襲われたイギリスが黙っているわけがない。
薩摩藩に賠償金の支払いと、イギリス人を殺傷した藩士の引き渡しを要求したが、薩摩藩は拒否した。そして、薩摩藩とイギリスは武力で決着をつけることとなる。

つづきは次回。

 

 

今回の復習

・イギリスでミカンのことを何という?
・「1862年、薩摩藩の島津久光一行が江戸からの帰途、その従士が横浜近郊の
生麦で、イギリス人4人の行列への非礼を咎め、3人を殺傷した事件」とは何?
・「一撃必殺」と言われる薩摩藩の剣術を何という?

 

答え

・「Satsuma(サツマ)」
・生麦事件
・示現流

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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