2014年に全日空(ANA)がこんなCMを放送した。
「日本人のイメージ、変えちゃおうぜ」と言う西島さんに、「もちろん」と応えたバカリズムさんが金髪と高い鼻の“白人”になっている。
このCMに悪意はまったくなかったけど(むしろ白人になることが“理想”のように見える)、日本人が金髪のかつらをかぶって付け鼻をして人種を変えるという演出には、当時外国人の間で「これが問題ないと思っているの?」といった批判が噴出。
明確な人種差別ではないけど、このCMに人種差別的という指摘が出るのはしかたない。
それでANAは謝罪した。
AFPの記事(2014年1月20日)
外国人を中心に新CMへの苦情が寄せられていることを認め、不快感を与えたことについて個別に謝罪するとともに、問題提起に対し謝意を伝えていると述べた。
「金髪に高い鼻」は人種差別、ANA新CMに外国人から苦情
あのCMには昭和の感覚を感じる。
いまなら日本なら、日本人のイメージを変えるために英語を話す白人になるという発想に「それが国際化ではない!」という批判が出そう。
最近の日本の空気だと、欧米崇拝から脱して、日本人のまま外国人と対等にわたり合う人間が国際人とみられると思う。
日本は島国だったから外国人との交流はとても少なくて、特に江戸時代は“鎖国”をしていたから、国民のほとんどが日本人だけとの付き合いで一生を終えていた。
いまでも日本のどこへ行っても人種や宗教が変わることはほとんどなくて、仏教と神道を大切にする日本人がいちばん多い。
日本人が人種の違いに鈍感になっている原因のひとつには、伝統的に異人種との交流がなくて同一性の高い社会だったらからということがある。
明治時代の仏教哲学者で教育者、東洋大学の設立者としても有名な井上円了は日本人と欧米人の違いをこう話す。
わが人民は数千年来太平の海波に浴し、数百年来外国の交際を絶ちしをもって、未競争、未経験の人なり。これに反して、西洋人は既競争、既経験の人なり。
「欧米各国 政教日記 (井上 円了)」
あのCMの背後にも、「未競争、未経験の人なり」という日本人の特徴があったと思う。
視聴者が日本人だけなら大きな問題にはなっていなかっただろうし、白人が悪意なしで日本人のマネをしても日本人なら気にしないだろう。
その点、むかしから人間の移動がさかんだった欧米は高い経験値と「奴隷貿易」などの負の歴史を持っているから、人種問題には敏感だ。
井上円了はいまでいう生涯教育の先駆者
円了は西洋のように学校教育が終了した後も自由に学問を学ぶことが重要であるとの考え方から日本全国を行脚し、各地で哲学と妖怪学の講演会を行うようになった。
さて、最近パリでおこなわれたメンズコレクションで、日本のコムデギャルソンがモデルにこんな姿をさせてショーに参加した。
するとどうなったでしょう?
この髪型は黒人がよくやる「コーンロウ」。
白人のモデルに黒人を象徴するようなかつらを着けさせたことで、日本コムデギャルソンには「人種差別的では?」という批判の声が上がっている。
編み上げて出来上がったスタイルがトウモロコシ(corn)に似ていることから、こう呼ばれる。
上のインスタグラムの投稿はファッション業界を批評する「ダイエット・プラダ」のアカウントのもので、そこには、昨夜のショーで日本のアバンギャルドブランドは後退してしまったようだと書いてある。
「Last night, the avant-garde Japanese label seemed to have taken a step back with their men’s show」
コムデギャルソン側は「誰かを傷つけることを意図したものではない」と謝罪した。
こんな“人種差別騒ぎ”のはるかな遠因に、「わが人民は数千年来太平の海波に浴し、数百年来外国の交際を絶ちしをもって、未競争、未経験の人なり」という日本の歴史や経験不足がきっとある。
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SNSが発達して、誰もが好き勝手言えるようになって、今まで表に出てこなかった批判がみえるようになった。目につくだけに、輪をかけて炎上が酷くなったりするけど、なんでもかんでも批判すればいいってもんじゃない。それに物事に賛否はあって当然で、ちょっと批判がわいたからってすぐに謝罪するのもどうかと思う。信念をもってやってるならば。
白人が黒塗りすると差別ってゆうけど、どうして肌の色を再現するのが差別になる?じゃあ褐色に憧れて日サロに行くのも差別?確かに悪意をもってやるような奴も中にはいるやろうけど、どういう意図でするかが本質であって、リスペクトであれば差別じゃない。
黒人がよくする髪型を白人がしたら=差別やなんて。インスピレーションを受けて、それがかっこいいと思って真似るのはダメなことやろうか。ブラックミュージックやダンスに憧れてああゆう髪型してる子はいるけど、それはどう?
文化の盗用とでも?それなら日本人は漢字を使えないし、アメリカ人はピザを食うなって話。オマージュとか引用も、何もできなくなる。
これは日本人が鈍感なのではなく(そういう一面は確かにあるけど)、表面上だけで批判する側にも問題があると思う。
欧米人と付き合いがあるなら、こういう価値観や見方があるのを知ったほうがいいです。
でもそうでなかったら、こういう情報は特に必要ないでしょう。
私のまわりでも、外国人に興味がなくて付き合いのない人はたくさんいます。そういう生活をしていたら、人種差別にそれほど敏感になる必要はありません。
情報の取捨選択が大事で必要なら参考にするし、そうでなかったら無視すればいいだけのことです。
>白人のモデルに黒人を象徴するようなかつらを着けさせたことで、日本コムデギャルソンには「人種差別的では?」という批判の声が上がっている。
あはは、そういう批判の声が出るのは理解できますが。しかしそれにしても底が浅い批判だなぁ。「白人モデルに黒人の髪形をさせたこと」に批判が起きるのは、実は、それこそ、彼らが人種の差別意識・被差別意識を持っているからなのですけどね。
このかつらを着けたのがアジア系のモデルだったらどうなったでしょうか? おそらく、これほどの批判は起きなかっただろうと思います。
まあ、白人と黒人の「人種差別意識の葛藤」には、日本人は距離を取って首を突っ込まない方が無難ですよ。
コムデギャルソン側もこれで学習したので、次からは同じ失敗をしないようになるでしょう。
知識や感覚をもったうえで、向こうの人種差別には関わらないのが一番だと思います。
差別意識がなかったと言っても、行為で判断されてしまいますし。