中国から始まった新型コロナウイルスがヨーロッパへ伝わって、その恐怖や不安がアジア人への嫌悪にかわる。
それでいまヨーロッパでは、アジア人に「母国に帰れ」と言ったりつばを吐いたりするような差別的言動がみられるようになった。
前回そんなことを書いたわけですよ。
敵はウイルスであって人ではない。
「正しく怖がる」ができていない例だ。
なかには中国人・日本人・韓国人などのアジア人を「黄色」と表現するヨーロッパのメディアもあった。
AFPの記事(2020年1月31日)
現地紙クーリエ・ピカール(Courrier Picard)は26日、日曜版の1面の見出しに「黄色人種警報」と付け、謝罪に追い込まれた。
「まるでアジア系全員が保菌者扱い」新型肺炎で人種差別相次ぐ、欧州
今回取り上げるのは新型コロナウイルスではなくて、ここにある「黄色人種警報」という一部のヨーロッパ人にある発想だ。
「黄色い人間が欧米の白人社会に禍(わざわい)をもたらす。やつらを警戒しろ」という「黄禍論」が19世紀末から20世紀にかけてあって、その対象は主に日本人だった。
そのころの日本は欧米列強にならって、憲法を制定したり国会を開いたりして近代国家に突き進んでいた。
同時に、富国強兵政策で国力の増大にもはげむ。
そんな日本が国際社会(≒欧米社会)から注目を浴びたのは、1894年の日清戦争で中国を撃破したとき。
アヘン戦争でイギリスに負けたとはいえ、国土と人口の多い中国は大国であることには変わりない。
まだ十分に力を発揮していないだけで、中国にはすごい潜在能力があると、欧米は「眠れる獅子」と呼んで畏(おそ)れをもっていた。
その中国を粉砕したことで日本の力が世界に認められる。
逆に中国は「死んでたライオン」ということがバレて、ヨーロッパの半植民地状態となった。
明治日本の最大のチャレンジは1904年の日露戦争だった。
「日本がロシアを倒すなんて無理ゲーだろ」という予想をひっくり返して、日本は北方の巨大熊を倒してしまう。
というか、何とか勝利に持ちこむことに成功した。
日清・日露戦争の二連勝で欧米列強の日本を見る目は一変する。
アメリカ人学者のヘレン・ミアーズは日本の躍進をこう表現している。
日清戦争のあと、欧米はこの生徒の卒業を認定し、一八九九年に「不平等条約」最後の条項が書き改められた。
列強は特権を返上し、日本は高校卒業証書をいただいて大人の仲間入りをした。
そして日露戦争で、日本は大学卒業論文を見事に書き終える。「アメリカの鏡 (角川oneテーマ21) ヘレン・ミアーズ」
日清戦争と日露戦争の決定的な違いは、有色人種が白色人種を倒したということ。
当時は人種差別が空気のように当たり前にあった時代だったから、力をつけすぎた日本に不安や恐怖を感じる白人がでてくるのも当然。
そんなわけで、「日本はヤバい。危険な存在だ」と欧米社会でみられるようになる。
それが高校世界史でならう黄禍論だ。
黄禍論
日露戦争後の日本の台頭を警戒、欧米で黄色人種が白色人種に禍をもたらすと“黄禍”が主張された。ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世がとなえ、米・豪・の黄色人種移民排斥にも影響した。
「世界史用語集 (山川出版社)」
黄禍論を象徴する絵画
十字架の下にイギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパの国を擬人化した女神(ヘタリア!)がいて、大天使ミカエルが戦いを呼び掛けている。
ミカエルが指さす方向には、日本や中国をあらわすブッダが見える。
西洋vs東洋の構図で、アジアの特に日本を敵視・警戒するヨーロッパ人の心理が伝わってくる。
1911年にアメリカで刊行された本「The Yellow Peril(黄禍)」
アメリカでは増加する日本人移民に現地の人が不安や嫌悪を感じて、「黄禍」は「日禍」となった。この反日感情が1924年の排日移民法につながり、太平洋戦争の遠因にもなる。
今回の黄禍論について、もっとくわしく知りたかったらここをクリックだ。
いまでも新聞が「黄色人種警報」と書くというのは、ヨーロッパにはまだ「黄禍」の意識があるということだ。
日清日露の勝利につづいて、第一次世界大戦後には世界の五大国に上りつめた日本は、このとき欧米の人種主義についてどこまで正確に把握できていたのだろう。
空気を読んで根回しをして、打たれないように出る釘になれなかったのか。
まあ、白人こそ禍(白禍)だとして「ヨーロッバの栄光は、アジアの屈辱である!」と言った岡倉天心のような人もいたけれど。
ある意味、日本の“失敗”は勝ち過ぎたこと。これが慢心を生んだ可能性はあるはず。
「勝って兜の緒を締めよ」というご先祖さまの教えは正しかったのだ。
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