あしたは日本の行事・バレンタインデーということで、今回は「義理」について書いていこうと思う。
これまでアメリカ人、ブラジル人、イギリス人、フランス人、リトアニア人などのキリスト教文化圏の国の人たちにバレンタインデーについて話を聞いたことがあるけど、どの国の外国人も「義理チョコはない」と言う。
日本人の場合は同じ職場やグループで、不本意で面倒くさいけけど、義理でチョコやクッキーを用意する場合がある。
でも話を聞いた外国人は、渡したくない相手にプレゼントをする考え方はまったくないという。
だから当然、そんな習慣もない。
不本意を超えて最近では“強制性”を感じる女性が多いらしく、義理チョコには「パワハラ」というイメージがついてしまった。
そんな負の印象を払しょくしようと「ワンチームチョコ」を売り出す店もある。
京都新聞の記事(2020年2月11日)
「義理チョコ」改め「ワンチームチョコ」 パワハラもどきイメージを一新
でも中身は義理チョコなんでしょ?
こんな動きがあるのはきっと日本だけ。
こういう日本人の「義理」という心情を初めて世界に紹介したのは、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト(1887年 – 1948年)で間違いない。
出版されたのは1946年とかなり古いけど、恩や義理などの日本人独特の考え方や文化を説明した「菊と刀」はいまでも日本人論の名著だ。
その本を開くと、日本の「義理」を表す英語はないらしい。
それに近い言葉は「義務」だけど、欧米でいう義務と日本の義理はやっぱり違う。
それで「これに相当する言葉は英語には全く見当たらない」となる。
ルース・ベネディクトの考える義理とはこんなもの。
私が“世間に対する義理”一文字通りには“義理を返すこと”一と呼ぶところのものは、同輩に
“恩”を返す義務である…。世間に対する“義理”は、大ざっぱにいえば、契約関係の履行というこ
とができる。「菊と刀 (講談社学術文庫) ルース・ベネディクト」
義理とは返さないといけないものだから、これを負っていて相手に返せないのはすごく辛い。
俗に言う「義理ほどつらいものはない」という状態だ。
でも当時の欧米人の目から見ると、義理があるから「不本意ながらする」という行動はとても独特で、「あらゆる風変わりな道徳的義務の範疇の中でも、最も珍しいものの一つである。特に日本的なものである」とまで書く。
そのせいで、「義理を知らない人間」という非難を日本人はひどく嫌がるという。
言われる相手によって左右されるけど、これはいまも基本的にはかわらない。
「おまえはまだグンマをしらない」ならいいけど、「おまえは義理を知らない」と言われるのは「恥知らず」と同じ意味で、ボクなら全人間性を否定されたようなダメージを受ける。
義理と恩はセットになっているけど、欧米人には「受けた恩は絶対に返す」という心情が薄いらしい。
時代が変わって最近ではクーリエ・ジャポンの記事(2018.1.8)で、スペイン人から見てとても日本人らしい点として「GIRI」が挙げられていた。
責任、名誉、威厳、そして義務よりも、もっと高いレベルのもの。仕事、私生活どちらでも使われる。
スペイン紙が分析する「日本人の生態」
本当は気が乗らないけど、人間関係や世間との関係で不本意ながらする、という日本人の義理の心情を理解することはスペイン人にもむずかしいようだ。
日本人に比べれば欧米人など外国人はドライな性格で「本当は行きたくないけど、つきあいで行く」ということがあんまりない。
自分の仕事が終われば、他人が残業していようがすぐに帰ってしまう。そうすることに心理的負担も罪悪感も感じていない。(もちろん悪いことではない)
プライベートで複数の外国人と一緒にいても、「私は行きたい気分じゃないから」なんてストレートに言って帰ってしまうことがある。
でも、誰もそれを気にしない。
こういうことからも、日本人の義理は本当に独特なんだとおもう。
でもルーズベネディクトが指摘する義理は戦中・戦前の日本人のもので、令和時代の日本人が思う義理とは違うだろうから、現在の視点から見たらツッコミどころは山盛りある。
でもボクが読んだ限りでは、この本でいう義理は現代の日本人にも十分通じる。
おまけ
2年前、もらったチョコが本命か義理チョコかをAI(人工知能)が判断するということが話題になった。
「itmedia」の記事(2018年02月13)
男性からすると、女性から受け取ったチョコレートが本命か義理か分からず、勘違いをして恥ずかしい思いをする……そんなトラブルをAIで解決できるかもしれない。
AIでチョコが「本命」か「義理」かを判別 エンジニアの試みが話題に
本命チョコなら手が込んでいるし、それなりの装飾がされている。
義理チョコならその逆で、見た目がしょぼい。
こうしたことから、AIが本命か義理かを判断してくれるらしい。
でもこの時点では試行錯誤の段階で、いまはすっかり聞かなくなったということは成功しなかったのだろう。
こちらの記事もいかがですか?
パキスタンでイケメンのチャイ屋が話題!→イスラム教のため社会問題に
“国教”とは何?日本・パキスタン・トルコの政教分離と各国一覧
アカデミー賞で日本人がメーキャップ賞を取りました。 2年前も取っているそうです。
その方のインタビュー記事を少しだけ読みました。
のっけから「自分は日本人ではなくアメリカ人です。 国籍も変えました。 日本文化が嫌になったからです。 なぜなら日本は夢をかなえられないところだから」と書いてありました。
日本の芸能関係のメイク業界は子弟制だったと思います。 なので義理恩義っていうのが深く根付いていそうですね。 kokonさんの記事を読んで改めてそう思いました。
挑戦的なメイクや革新的なメイクがいろんなしがらみでできなかったんだろうなぁ。
そのインタビュー記事は私もよみました。
具体的にどんな日本文化かわかりませんが、義理や恩といった人情に縛られたものかもしれませんね。
それにはいい面もありますが、耐えられない人もいます。
欧米人的な感覚だと自分が我慢する理由が分からないのでは。
でも、自分の活躍する舞台を海外に求められるのは日本のいいところです。
発展途上国ではそんなことをするのは現実的にむずかしいですから。