日本の中学校で英語を教えていた知り合いのアメリカ人は、「これかわかる人?」と質問すると一斉に下を向く日本の生徒にガッカリしていたけど、給食はいつも楽しみにしていた。
とても日本的な食べ物が多いし、自分だったら選ばないようメニューがあってときたま「あたり」と出会って、お気に入りの料理になることもあるから。
では、ここでクエスチョン。
そんなアメリカ人が次のように食レポした食べ物はなんでしょう?
「あんなのは初めて食べた。不思議な味と食感で、まるで木の枝を噛んでるみたい。おいしいとは思わないけど、食物繊維が多くて身体にいいらしいから、給食で出たらまた食べるよ」
答えは見出しにある「ごぼう」。
このときアメリカ人が食べたのは、きんぴらごぼうだったと思う。
中国ではごぼうを薬(漢方薬)として食べる習慣があって、それが平安時代に日本へ伝わったといわれる。
はじめは薬用だったごぼうが江戸時代になると、総菜屋で売られるような庶民の食べ物になり、いまでは日本食に欠かせない食材となった。
韓国でもごぼうを食べることはあるらしいけど、全国で日常的に食べられていて、多種多様なごぼう食のレパートリーが発展したのは世界で日本だけ。
いまでは日本独特の食文化となっている。
「ごぼう」を漢字変換すると「牛蒡」や「牛房」がでてくるけど、これはごぼうの見た目が牛のしっぽを連想させるかららしい。
『オリーブオイルをひとまわし』の記事で、日本人はよく食べるけど海外ではほとんど食べない食材を紹介している。(2020/2/20)
そこでナマコやコンニャク、お餅などと一緒にごぼうが紹介され、こんな説明がある。
ハーブや漢方として使用する国はあるが、食材としては扱わないことがほとんどだ。個性の強い香りやえぐみ、木の根のような見た目や固さが受け入れられにくい。
コレを食べてるのは、ほぼ日本人だけ!?不評な食べ物が意外と多い事実。
ごぼうが国民的な食材となっている国は世界で日本だけ。
東アジアならごぼうを食べることもあるけど、欧米にはその習慣がないから「まるで木の枝」「根っこみたい」という感想が出てくる。
それぐらいならいいけど、日本と海外の食文化のちがいが思わぬ悲劇の原因になることもあるのだ。
太平洋戦争中に、アメリカ人やオーストラリア人など外国人捕虜にごぼうを食べさせたところ、戦後になってから彼らが裁判で「人権侵害」や「虐待」と主張して、ごぼうを提供した日本人が罰を受けたこともある。
1952年(昭和27年)に法務省の保護局長が、日本の文化や事情を知らない人間が裁判を行ったため不当な判決があったとして、その例に「ごぼうによる虐待」をあげた。
その当時ごぼうというのは我々はとても食えなかつたのだ。我々はもう大豆を二日も三日も続けて食うというような時代で、ごぼうなんてものはなかなか貴重品であつた。そのごぼうを食わしたところが、それが乾パン代りに木の根を食わして虐待したというので、五年の刑を受けたという、こういう例もある
文化がちがうと善意が虐待にもなる。
直江津捕虜収容所事件では当時捕虜だったオーストラリア人が裁判で「木の根を食べさせられた」と虐待を主張したこともあって、日本人8人が死刑判決をうけて処刑された。
もちろん理由はこれだけじゃないから、くわしいことはここをクリック。
東京裁判で日本側の弁護士をつとめた清瀬一郎は牛蒡を「オックス・テイル(牛の尾)」と誤訳したため、外国人捕虜から不満が出たと指摘する。
日本と海外の食文化のちがいが生み出したトラブルを超えた悲劇としては、これ以上のものを知らない。
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戦時中の欧米人の捕虜に善意から食物と与えて、戦後になってから罰せられたものとしてもう一つ有名なのが「海苔」ですね。彼らにしてみれば「無理やり紙を食わされた」と考えたのだとか。
ごぼうの話はロシア人からも聞いたことがあります。ロシアにもあるけど食用農産物とかでは全然なくて、「ロシアじゃあれは単なる雑草」なのだそうです。
前に記事に書きましたが、海苔を食べるところは本当に少ないです。
ウェールズではパンにつけて食べることもありますが、これは欧米で例外的です。
島国のせいか日本人は何でも利用しますね。
今じゃ考えられないけど昔は飢饉が普通にあったため、食べられそうな物は何でも試したのが食文化になったのでしょうね。
それにしても善意で提供した、日本では有り触れた食材で戦後に「虐待」として断罪され死刑に処されるなんて理不尽の極みだと思います。
そうですね。
ゴボウだけが原因ではないでしょうけど、これはやるせない。
いま日本にいる外国人の話を聞くと、ゴボウは人気が高いです。
この当時のゴボウがどんな料理になっていたかは分かりませんが。