ほんじつ6月23日は、1945年のこの日に沖縄戦が終結したことで日本では「慰霊の日」になっている。
そして海外に目を向けると、6月23日はオリンピックデー(五輪デー)だ。
フランス人のクーベルタン男爵の呼びかけによって、1894年6月23日に国際オリンピック委員会(IOC)が設立されたことに由来し、この日はオリンピックデーとして世界各地で記念イベントが開かれている。
ことしもコロナさえなければ、東京オリンピックの良い前座となっていたはずなのに。
古代ギリシアで行われていたオリュンピアの祭典(古代オリンピック)に感銘を受けて、クーベルタンがこれを現代に復活させようとした。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」というクーベルタンの言葉は有名だ。と言いたいところだけど、実はこれは別の人の言葉でクーベルタンは「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」という言葉を残している。
きょうは五輪デーということでオリンピックについて書こうと思うのだけど、なんせ範囲が広すぎるから、ここでは五輪史上最悪の悲劇で世界史に残る事件を取り上げよう。
ときは1972年9月5日、ドイツでミュンヘンオリンピックが開催されていたときにさかのぼる。
このときイスラエル選手団が滞在していた下の選手宿舎に、銃や手りゅう弾で武装し覆面をかぶったパレスチナ武装組織「黒い九月」が侵入。
「黒い九月」は中にいた2人を殺害したあと、イスラエル選手9人を人質にとって、イスラエルに収監されているパレスチナ人234名の釈放を要求する。
この中には日本赤軍の岡本公三もいた。まさに日本の恥。
犯人の要求をのむフリをしてドイツは人質を救出しようとしたけど、その作戦は結果的に失敗して、人質だったイスラエル選手全員が目隠しをされ、両手を後ろに縛られた状態で焼き殺されてしまう。
五輪史上最悪の出来事「ミュンヘンオリンピック事件」はこうして終わった。
ミュンヘンオリンピック公園にある犠牲者の慰霊プレート
今度がイスラエルが動く。
自国の代表選手を殺害した報復として、政府は空軍にパレスチナ解放機構(PLO)の基地10カ所を空爆した。
でもこれは始まりにすぎない。
イスラエル政府はミュンヘンオリンピック事件を起こした「黒い九月」のメンバーの暗殺をきめ、諜報特務庁(モサド)を使ってターゲットを特定し消していった。(神の怒り作戦)
黒い九月のメンバーでもあった彼は、1972年10月16日、ローマの自宅アパート内で射殺されている。その後もモサド工作員はターゲットを銃、あるいはリモコン式の爆弾で次々と暗殺した。
このあと「黒い九月」もスペインの路上でモサド工作員を射殺するなど反撃をおこなって、事態は泥沼化する。
ミュンヘンオリンピック事件の代償は本当に高くついた。
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この事件を映画化した作品はいくつも作られていますが、スピルバーグ監督・製作の「ミュンヘン」が最もリアルで恐ろしい映画でしたね。歴史上の事件を描いた「ドキュメンタリー・タッチ」の映画でも、韓国の反日作品とはえらい違いです。