「自由都市」といえば、高校世界史でならう中世ヨーロッパの都市のこと。
この時代のヨーロッパにあった多くの都市は封建領主や教会の支配を受けていて、さまざまな縛りや制約があった。
でも市民が経済力を持ち始めたことでそんな支配者の影響下から抜け出して、徴税、司法、行政、防衛などを市民が自らの手で行うようになり、”自立・独立”するようになる。
それが自由都市で、具体例にはイタリアのベネチアやジェノバ、ドイツのハンブルクやブレーメンなどが有名だ。
日本では戦国時代の堺(大阪)が自由都市といえる。
では、いまの世界で「自由の都市」というと一体どこを思い浮かべるだろう。
日本人なら、自由の女神像(Statue of Liberty)のあるアメリカ・ニューヨークを連想する人も多いのでは。
アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴であるとともに、19世紀以来絶えることなく世界各地から観光客が訪れている。
移民国家アメリカの中でも、ニューヨークは世界中の人種や宗教の人間を受け入れて共存している、めっちゃコスモポリタンなところ。
そこではそれぞれの違いが尊重されて、自分の価値観にもとづいて自由にものを言うことができるし、批判や反対意見、抗議デモをする権利や自由が世界で最も認められている都市のひとつだ。
いろいろな人種・宗教がごちゃ混ぜになっている「サラダボウル状態」の反対が、ユーラシア大陸の東の外れにあるわれらが日本。
この島国は歴史的に外国人との交流が少なく、「鎖国」なんて閉鎖空間を数百年もつづけることができた世界でもユニークな国なのだ。
日本が国を開いて欧米諸国との付き合いをはじめた明治時代、ヨーロッパに渡って西洋社会を肌で知った仏教哲学者の井上円了は、日本人と西洋人を比較してこう書いた。
「わが人民は数千年来太平の海波に浴し、数百年来外国の交際を絶ちしをもって、未競争、未経験の人なり。」
数百年の眠りからさめたばかり明治日本に比べれば、21世紀のいまは比較にならないほどオープンな国になったけど、それでも外国人と交際する機会はまだまだ少ないし、一生日本人としか付き合わない人も珍しくない。
井上円了
ニューヨークで生まれ育って日本に10年以上住んでいるアメリカ人ときょねん話をしていたとき、日米の「自由の違い」が話題にのぼった。
たしかに日本社会と比べると、ニューヨークには表現の自由や権利が認められているとそのニューヨーカーは言う。
日本人と違って”忍耐力”がないから、不満があったら黙ってはいられず、ニューヨークの人間はすぐに抗議デモをする。すると今度は反対意見をもつ人たちが、その抗議デモに抗議するデモをおこなう。
NYだけではなくて、アメリカは全体的にこんな感じらしい。
そんなことを話していたニューヨーカーが、ニューヨークよりも日本に広い自由が認められている点として挙げたのが宗教だ。
12月に彼が浜松市内の図書館や公共施設に入ると、こんなクリスマスツリーが飾られていたのを見て、なつかしさを感じた。
ニューヨークにはユダヤ教徒やイスラーム教徒、それに無宗教者などいろんな価値観をもった人間がいるから、キリスト教を象徴するクリスマスツリーを公共施設に飾ることは今はできなくなった。
異教徒に配慮して、「メリークリスマス」とあいさつするときにも注意や配慮が必要となるのだ。
ただニューヨークはアメリカを代表する都市だけど典型ではない。
だから、場所が違えばこのへんの「クリスマス事情」も大きく変わる。
そんなニューヨーカーから見るとアメリカでいう宗教は日本では「文化」だから、クリスマスツリーをショッピングモールや役所の受付台に置くことが普通にできる。
日本全国は知らないけど、浜松市なら問題ない。
12月のクリスマスツリーなんて、3月のひな祭りや七夕の短冊と同じような季節の飾りと同じようなもの。
彼が小中学校生だったころもそんな感じで教室にはクリスマスツリーが飾られていたけど、宗教的な中立・公平を求められる現在のニューヨークの学校や公共の場でそれは無理。
だから図書館のクリスマスツリーを見て、子どものころを思い出して「ニューヨークが失ったものがここにはある」となんか感動したらしい。
進化論さえうかつに話せないアメリカと違って、日本では宗教についての言論の自由が広く認められている。
というか宗教心が薄いから誰も気にしない。
だから日本には理解困難なクレーマーは山ほどいるけど、クリスマスツリーに文句を言って撤去を要求する人間なんて聞いたことがない。
ニューヨークではいろんな人の自由が認められていることで、逆になくなった自由もある。
教会の支配から解放されたのが「自由都市」なのに、NYでは宗教の影響力が強くなっているようだ。
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