アメリカ人が指摘する日本の「つつむ文化」:ご祝儀と言葉

 

国籍や宗教に関係なく、外国で暮らすと誰もががカルチャーショックを感じる。
5年ほど前、日本の中学校で英語を教えていたアメリカ人から、米国との違いとして日本の「包みこむ文化」について話を聞いたから、これからその説を紹介しよう。

 

あるとき彼女が友人の日本人から、自分の結婚式にあなたも来てほしいと言われ、「もちろん! “ノー”という選択肢があるはずない!」と快諾した。

日本の結婚式ってどんな感じなんだろう?
ワクワクが止まらない彼女の前に現れたのが、別の日本人から聞いて知った「ご祝儀」という巨大な文化の壁。
そのアメリカ人の感覚だと、結婚式への「入場チケット」として3万円を強制的に支払わされるようなもの。それを知った時はビックリしたし、事前に伝えてくれなかった友人をチョット恨んだ。
しかも、日本では礼節が重んじられる。
現金をそのまま渡すのはとても失礼な行為なので、きれいなご祝儀袋を用意し、新札を向きそろえて入れないといけないと聞いて、彼女は本当にウンザリしてきたという。
それでボクには、

「これは私だけじゃない。アメリカ人は礼儀正しさよりも手軽さを重視するから、後でそんな面倒くさい話を聞いたら、ほかのアメリカ人もきっと不快になるって!」

とグチを言っていた。

 

 

こんな日本の「包み込む文化」については、日本の学校で働く別のアメリカ人からもネガティブな評価を聞いたことがある。

日本では、結婚式や葬式だけでなく、職場でも、誰かにお金を渡すときは封筒などで包むことがマナーであり、ルールになっている。
彼はそれを知らず、学年主任の先生に借りた食事代を現ナマで渡してしまった。
アメリカなら財布からドルを出して、「この前はありがとう」と上司に渡すカジュアルなやり方でOK。
でも、それを見ていた同僚の日本人先生から、「あのやり方はここでは失礼になる」と言われて驚いた。
「知り合いにお金を渡すのに、いちいち封筒を用意しないといけないのかい?」と聞くと、プライベートで友人に渡すのならいいけど、職場では封筒に入れるのがマナーだと言われ、彼はウンザリした。
同僚の先生は「それが日本の文化では重要なんだ。もし、同じことがあったら、これを使ってほしい」と、職員室にあった備品の封筒を彼に渡したという。

そのアメリカ人は「めんどくさっ」と舌打ちしたくなったが、西洋には「Do in Rome as the Romans do」(ローマではローマ人のようにふるまえ=郷に入っては郷に従え)という言葉もあるし、日本では日本のやり方に従うことにした。

 

日本に住むアメリカ人に聞くと、日本人は言葉もよく「包む」という。
心で考えていることや感情をそのまま口で言葉にしないで、日本人は遠回しに伝えたり、オブラートに包んで表現したりするから、礼儀正しいけど理解がむずかしい。
たとえば、友人とレストランでご飯を食べているときに感想を聞いても、「おいしい/マズイ」ではなく、「微妙」や「なんか独特」と言われると、それが具体的にどんな味かわからない。
相手がその食べ物を気に入ったかどうかもつかめない。

日本人は相手の気持ちに配慮して、直接的な言葉で拒否をしないから、イエスかノーか判断がむずかしいことがあって、かえってストレスがたまるというアメリカ人もいた。
アメリカの教育では、生徒一人一人が自分の意見を持つことが大事にされて、相手が誤解しないように、しっかりわかりやすく伝える能力が重視されているらしい。
日本人は言葉を包み込んだり、あいまいに表現したりするから、特にアメリカ人には中身や本音が見えにくい。

 

日米の文化や価値観を全体的に見ると、日本では長い歴史や伝統の中で礼儀や配慮が重視されてきた結果、いろいろなことのやり方が複雑で遠回しになる。日本は島国で、昔からほぼ日本人しかいないから、価値観や考え方が全国的に共通している。
一方、移民の国アメリカでは正解や方法は民族や宗教によって違うから、社会の常識や礼儀、方法は最大公約数的なシンプルなものになる。
日本の包み込む文化とアメリカのストレート文化には、きっとそんな違いが表れている。

 

 

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1 個のコメント

  • >アメリカで受けた教育では、生徒一人一人が自分の意見を持つことが大事にされて、相手に誤解のないようしっかり自分の考えや意見を伝える技術や能力が重視されていたから、日本人とのギャップが大きい。

    その通りです。そのような米国の教育の基本方針こそが、起業家精神と人生を切り開く上昇志向の国民性をつちかっているのだと思います。いわば、そのような教育方針こそが、米国の国力を生み出している源泉であり、最大の人的資源なのです。
    一方の日本では、戦後20世紀の間は欧米先進国に工業力で追いつくため、均一で画一的な人材を高いレベルに育て上げて社会へ供給することが最大の基本方針でした。欧米先進国に肩を並べた現在でも、そのような教育に対する考え方は変わっておらず、それが、たびたびトラブルの元になっています。

    現在でも「空気を読め」だの「忖度せよ」だの「自己主張を控えろ」だの「勝手な考え方をするな」だの「ルールを守るのが第一」だのと・・・。まあ口先では「個性が大事」と言いながら、本心では「変わり者は排除せよ」という考え方をする日本人が世の中にはなんと多いことか。(と、チコちゃん風に。)
    世の中に老人が増えると、当然、そのような保守的傾向が強まるのですけどね。ですけど若い人達は、ぜひ、そんな閉塞感を打破できる人材に育ってほしい、そういう若者が成功する社会になってほしいと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。