きょねん京都を旅行したドイツ人が「変な言葉を聞いた」と言う。
彼が泊まっていた旅館やいろんなお店のスタッフが「おおきに」という、彼が聞いたことのない言葉をよく使う。
旅館の女将さんにきいたらそれは「ありがとう」の意味で、もともとは「大きに ありがとう(ございます)」だったのが、後半部分が省略されて「おおきに」になったという。
「おおきに」が「サンキュー」の意味だというのは分かったとして、今度は別の疑問が浮上。
「サンキュー・ベリー・マッチから、サンキューを省略したら意味が分からないよっ!なんで「ありがとう」を残さないの」とか言いやがる。
京都人の言う「おおきに」は「ありがとうございました」の意味で、いままでそれに何の違和感もなかったけど、言われてみればこのドイツ人の不満にも一理ある。
なんで核心となる後半部分をカットするようになったのか?
その理由は元京都人のボクにも分からん。
こまけーことはいいんだよ。
語学は習うより慣れろだ。
これと似たような質問は、ポーランド人と「まいどおおきに食堂」に行ったときにもされた。
「まいどおおきに」は「いつもとっても」という意味で、一番大事な「ありがとう」がない。
なぜなのか?
日本人なら言葉にしなくてもその気持ちは理解できるから、自然と「ありがとう」の部分がなくなって「おおきに」だけになったと思う。
けど、「サンキューを省略したら分からないよっ!」と外国人が言うのも納得できる。
「おおきに」って「ベリー・マッチ」ってことだよね?と言ったのがこのドイツ人
「おおきにありがとう」から「ありがとう」が省略された理由について深く考えたことはなかったけど、この前ネットでサーフィンをしているとたまたま「PHPオンライン衆知」のこんな記事と出くわした。
[日本人の謎] なぜ、ことばを省略したがるのか? (2012年11月30日)
言葉を省くのが日本語の特徴で、「おおきに」の他にも「こんにちは」や「こんばんは」がある。
それぞれ元は「今日は、よいお日柄で」とか「今晩は、よき穏やかな晩です」といった言葉だったのに、「後に続くはずの挨拶語が略されている」という。
「さようなら」も元々は別れのあいさつではなくて、「さようならば」という接続詞だった。
「さようならば(そういうことでしたら)」という結論へいたるための導入の言葉として使われていたから、「グッドバイ」なんて意味はまったくない。
「さようなら(ば)、これにて失礼いたします」と述べるのが本来の正しい別れのあいさつだった。
日本人は、あとに続く重要な言葉をよく省略する。
重要な言葉をあえて言わなかったり、別の言い方で表現するのは日本語の文化だと、古代民族研究所代表の大森亮尚氏が記事のなかで指摘している。
『万葉集』には死に関係する歌でも、「死んだ」「死ぬ」といったストレートな言葉は一度も使われていない。
代わりに「隠れる」「過ぎていった」「散った」といった表現で、読み手に「死」を連想させた。
この背景には日本の言霊信仰があるという。
ことばには魂があり、うっかり口に出すとその通りになってしまうという「言霊」文化が日本にあります。大事なことばほどうかつに口に出してはいけないのです。
これがすべてではないものの、日本人が直接的な表現を避けたり、遠回しな言い方をする理由のひとつになっているだろう。
平安文学で使われる「物す」はその場の状況しだいで、居る、言う、食うなどの意味になり、こんな婉曲な表現でも読み手は正しく理解することができた。
日本人だからさ。
直接的な表現がなくても、手がかりとなる言葉があれば意味を類推できる。
日本人はそんな察知能力が高いらしい。
別れる時にはっきりと別離を宣言することがためらわれるので、接続詞の「さようならば」「さらば」ということばで止めて、それ以上は言わずに別れの辛さを相手に察してもらう。
なんでもストレートに、省略しないで伝えることは日本人の心情には合ってないけど、「その方が分かりやすくていい」という外国人は多いはず。
もちろんどの言語にも省略や遠回しな表現はあるけど、たとえば英語の場合は主語・述語・目的語がはっきりしていて、平気で主語を省く日本語とは根本的に違う。だから日本語で外国人に考えを伝えるには、それらを明確にしたほうがクリアで分かりやすい。
言語は生きもので、背景にはそれぞれの社会の伝統や文化があるから、単純な翻訳では意味がつかめないのも当然。
でも、日本の文化圏の外側にいる人の疑問や指摘が手がかりになって、日本人が「当たり前」の存在に気づき自国の歴史や価値観を改めて知ることもある。
このへんが国際交流のおもしろいとこ。
反論できる?「日本人が、外国人の日本料理をインチキと言うな!」
英語は「屈折語(=単語の語尾が活用する言語)」という種類の言葉であって、語順が大切ですからね。もしも主語を省略したら、文の先頭に立っているのは述語?目的語?補語?何が何だか分からなくなってしまいます。中国語も屈折語に近い「孤立語(=単語は1語ずつ独立していて、活用もせず、語順や文字数だけから単語の役割を判断する言語)」ですから、英語に近い。
でもこれ、なかなか不便な言語だと思います。「雨が降る」のに主語が「It」って、誰のこと? 神様ですか?スティーブン・キングによれば「イット」は宇宙人かな?
日本語や韓国語は「膠着語(=語尾に助詞がくっついて文中での単語の役割を示す言語)」ですから、本当のことを言うとどうでもいいのです、語順なんかは。(←この文がそのまま一例です。)
順番を入れ替えたって、主語だろうが述語だろうが目的語だろうが明快なのだから、省略だって簡単です。先頭から文を作って行って後の方が面倒になってきたら、残りはもう省略、それで相手に意味が伝われば用が足ります。「おおきに」「こんにちは」「どうも」など、全てその類の省略表現ですね。
漢字と平仮名の使い分けも膠着語の用法にぴったしです。