東南アジアの人たちが思う、日本人の優しい時と冷たい瞬間

 

群馬~新潟の関越自動車道で、大雪のせいで一時2000台以上の車が立ち往生。

なかには35時間以上も車から出られない人もいて、現地では不安や疲労感が広がっていたときに英雄現る。

あるドライバーが機転を利かせて、ネットやメディアで大きな話題となった。
せんべいやおかきなんかを販売している「岩塚製菓」の商品を運んでいたドライバーが、会社から「積んでる商品を食べてもいいですよ」と許可をもらったあと、立ち往生している他の車にも商品を配ったという。

こんなリアル・アンパンマンみたいな話にネットの声は?

・日本人は米さえくえば動けるからな
・俺たちの岩塚製菓
・喉が渇いた
・前餅で口を怪我したとか言うクレーマーが出ない事を祈る
・この手の話は日本ではよくある事だね!
・伊藤園あたりも巻き込まれてると助かるな

 

ヤマザキパンも前にこんな「アンパンマン対応」をして賞賛と感動を呼んだ。
2018年2月に福井市で、同じように大雪で立ち往生していたとき、「山崎製パン」の商品を運んでいたドライバーが会社の許可をとってパンを配り始めて、ネットで“神”の扱いをうけた。

 

このときは皆で助け合ったという。

 

そんな温かい日本人について2か月前、朝日新聞が記事でこんな調査結果を載せていた。(2020/10/23)

地域での住民や知人同士の助け合いの意識について尋ねたところ、半数近くが「何もしない」と答えたとの調査結果を厚生労働省がまとめた。

助け合い「何もしない」が半数近く 厚労省のネット調査

 

厚生労働白書によると、日常で助けを頼れる人がいない65歳以上の高齢者は、1990年の44万世帯から2015年には160万世帯に増え、2040年には230万世帯になるとみられている。

こんな未来に対して現状はお寒い。

昨年12月にインターネットでアンケート調査をおこなったところ、「日常の困りごとについて、友人・知人同士で助け合う」(32・1%)や、「近隣住民同士で助け合う」(27・1%)をおさえて、最も多かったのが「関われることはないので何もしない」ということが判明。
助け合いについて「何もしない」という人が46・9%とほぼ半数を占めた。

こんな結果から今後、地域での支え合いの意識がさらに薄まることが懸念される。
ということで厚労省は「家族や住民団体、NPO法人などの力も活用しながら、新たなつながりや支え合いをつくる必要がある」という。

 

 

ことし3月、日本の大学に通うインドネシア人4人とタイ人1人と一緒に田貫湖へ行くと、こんなみごとな富士山を拝むことができた。

同じ東南アジアの出身でも価値観や考え方は人それぞれ。
すばらしい富士山が見られたのは、イスラーム教徒のインドネシア人に言わせると「アッラーのおかげ」で、タイ人は「運ですね。あえていえば、いままで良いことをしたからかな」と言う。
そんな彼らに共通していたのが日本人に対する見方で、ふだん自分が接している日本人の学生は基本やさしいけど、すごく冷たいと感じることがあるという。

イスラーム教徒は教義によって、豚肉やアルコールを口に入れることができない。
だから食堂やコンビニで日本人の友達に内容物をきくと、彼らはそれを確認して、不明なことがあるとネットで調べて確実な情報を教えてくれる。
みんな時間や手間をかけてこういう作業をしてくれるから、日本人は親切でやさしいと思う。

でも他人に対しては、ゾッとするほど冷たいと感じる一面がある。

たとえばあるとき食堂で、1人で食事をしている学生がいたから「あの人に声をかけて、一緒にご飯を食べませんか?」と日本人の友人に言うと、「知らない人だからそんなことをしなくていい」と拒否された。
これがインドネシアなら、同じ大学の学生だから声をかけて輪になって、みんなで話を楽しんでラインを交換してもおかしくない流れ。
でも日本ではこれは不自然らしく、他の日本人にきいても「それが当たり前。他人に声をかけて一緒にご飯を食べることはない。ほっとく」と言う。
インドネシア人の感覚からすると、こういう言葉がすごく冷たく響く。

 

この点についてはタイ人も同じで、日本人の他人と身内との距離感に違和感をもっていた。
同じ研究室の日本人学生はいろいろと面倒をみてくれて、みんな親切でいいい人だけど、他の研究室の人にはあいさつもしない。
これがタイの大学なら、同じ建物にいる学生が日常的に顔を合わせていたら、自然と声をかけて多くの人と知り合いになっている。

こんな感じにインドネシア人もタイ人も、日本人はウチとヨソの間に明確な一線を引いていて、声をかけて新しい人とコミュニケーションをしないように見えるという。

別の機会にベトナム人から聞いた時も、「まったく同感です」と言う。
これは彼の個人的な見方なんだが、日本人はプライドが高いから簡単に助けを求めないし、自分から声をかけることも少ない。
ベトナム人はこのへんのハードルがすごく低くて、なんかあったらすぐに誰かに頼る。
ほかにもベトナム人は簡単にお金を借りようとするけど、日本人はそうしない。これも彼に言わせると、日本人は自尊心が高いから。

 

これまでのボクの経験からしても、東南アジアの人たちのこうした見方はだいたい合ってる。
日本人に比べると東南アジアの人たちはフレンドリーだから、気軽に声をかけ合ったりかかわりを持とうとする思う。
ただ他人との境界線があいまいで、「タイ人は勝手にヒトの物を使う」と怒るタイ在住の日本人もいた。
インドネシアやベトナムでもこういう感覚の人がよくいる。

それと「日本人は自尊心が高い」という声はインドネシア人やタイ人からも聞いたことがある。が、ボクから見ると彼らは見栄っ張りで、収入と不釣り合いの高そうなモノをよく身につけている。

 

東南アジアの人たちのこんな見方は、上の2つの例にも当てはまると思う。
同じ地域に住んでいても積極的に接点をもとうとは考えないで、他人は他人だから「関われることはないので何もしない」という人が多い。
同じフロアにいて何度も顔を合わせていても、他人だったらあいさつもしないのと似ている。

でも、同じ困難な状況におかれると連帯感がうまれて、もう赤の他人ではないから、物を分けたりする助け合いがはじまる。

日本で大地震が起きたとき、被災した人たちがキレイな列をつくって配給を受けていたことや、自分より他の人を優先して物資を渡すよう求める人がいたことに海外メディアがおどろき、それがニュースになることもあった。
東南アジアで同じことが起きた場合、「オレがオレが」で奪い合いが始まってもおどろかない。

ただ今回、美しい助け合いを演じた人たちが家に戻ってから、新しくご近所づきあいを始めるかというと多分それはなく、きっとまた元の日常に戻っていく。

 

 

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4 件のコメント

  • >「タイ人は勝手にヒトの物を使う」

    勝手に人の物を使っても謝って返してくれればまだ良い。
    「物を貸す馬鹿、それを返す馬鹿」という諺があるくらいだし。サークルやゼミの備品も平気で盗んで行ってそのまま帰国しやがるし。顕微鏡やら測定器まで持って行かれたところもあるしねぇ。

  • 「自尊心」という言葉は非常に難しい概念です。おそらく、江戸時代の武士道や神道・仏教なんかが影響しているのでしょうが。少なくとも明治期には日本人のほぼ全員にそのような概念が普及していたものと思われます。
    最近は多少の綻びも見られるとは言え、今なお我々はその伝統の力によって秩序ある社会を維持できているのだと、上の記事からも感じられます。
    日本人に生まれてよかった。

  • 日本人は他人に迷惑をかけたくない、という気持ちが強いので、でしゃばって声をかけたら相手が負担に思うかもしれないという思いもあるのでは?
    頼まれて余裕があれば、気持ちよく何かしてくれると思います。

  • このへんは文化の違いですから、適切で心地良い距離感はそれぞれ違うでしょうね。
    日本に東南アジアの感覚を持ち込んでも、逆をしてもうまくいきませんから。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。