首都圏で新型コロナウイルスの感染拡大が止まんないから、御殿場市がこんなポスターを制作し、飲食店に配布したことでいま賛否が分かれている。
画像は御殿場市のHPから
アマビエちゃんでかわいさをアピールしているものの、「一見さんお断り」という言葉の印象が強かったらしく、御殿場市には「一都三県はみんな感染者だと思っているのか」、「差別だ」といった批判がいくつもきたという。
とはいえ、いまもしクラスターでも出したら、店にとってはそのまま「ご臨終」となってしまう可能性は十分ある。
実際、クラスターを発生させたことで周辺の店から”敵視”されて、閉店に追い込まれたという店を聞いたことがある。
店としては従業員や客を守るために御殿場市と協力して、苦しい思いで「お断り」の紙を出したのだが、すると今度は「差別だ」と怒られた。
この対応に正解はなくて、見方は主観によってバラバラだ。
・これは差別じゃなくて区別ね
・さすがに張り紙は非難されるだろ
・「県をまたいだ移動をひかえて」と同じ事だろ
・そういうポスターを市役所が率先して作ったのが問題なんでしょ。
・一度も行った事ない奴が騒いでるだけな気がする
・お高く止まってるように見える言葉を選ぶセンスが悪かったね
同じ静岡県民として言わせてもらえば御殿場は観光地だから、本来は「一見さん大歓迎」のはず。
いろんな人が来てお金を使ってくれないと、自分たちが大ピンチになるのだから、客を差別する気持ちがあるわけない。
が合理的な理由がないのに、「~さんの入店はお断り」という紙を貼るのはたしかに差別行為になる。
それで御殿場市はこのあと、不適切だったと認めてポスターの内容を変更した。
*そんなこんなしているうちに、今度は静岡県内で英国流行変異ウイルスの感染が確認されて、いまネットでは「特大ブーメランワロタw」「静岡から出てくんなよマジで?」とか、県民として心の折れる書き込みが多数ある。
ところで外国人から話を聞いていると、日本人にはこんな「差別意識のない差別行為」がよくあると思う。
これも日本が“幸せな歴史”を持っていたからか?
アフリカ・ガーナにあるかつての奴隷収容所
きょねん九州の大学を卒業したアフリカ人と知り合った。
「裸になって温泉に入るのが怖かった」と話す彼が、日本で嫌な思いをしたことが一度だけあるとこんな話をする。
日本で新型コロナの感染が広がりつつあった20202年の春ごろ、大学近くの都市で外国人の感染者が出た。
するとその話が彼の住んでいた小さな町にもすぐに伝わり、「外国人はアブナイ」という偏見が流布したことで、まったく関係ないその外国人学生が食堂や商店から「入店はお断り」と言われる事態が発生。
彼も髪を切ってもらおうといつもの美容院に行ったら、「申し訳ないけれど」と店主に断られてしまった。「髪を切ることができないのは初めての経験だったよ。あれは本当に困った」と言う。
バングラデシュ人と日本人のハーフで日本国籍を持っている人でさえ「外国人あつかい」されて、店へ入ることを拒否された。
留学生にとってこれは大問題だ。
いろんな国籍の人たちが話し合った結果、これは差別ではないけれど“差別”ではある、という認識でほとんどの人が一致した。
街の人たちは自分たちのことを知っていて、いままでは親切に迎え入れてくれたのだから、「特定の人種への憎悪」なんてものはカケラもはないことはみんな知っている。
でも、外国人を理由に入店を断るというのは疑う余地のない差別。
「彼らには悪意はないけれど、それがどういう行為なのかよくわからなかったんだろう。つまり知識が足りなかったんだよ」とアフリカ人は言う。
差別意識はないまま差別行為をしているということで、そのときいた外国人にとっては“差別”になった。
このとき彼は指を曲げてつくる「エアクオート」のジェスチャーをする。
エアクオートは“ ”のように言葉に特別な意味を持たせるサインで、アメリカ人がこれをよくやる。
陸続きの国に比べれば日本は海外からの人の流入が少なかったし、奴隷制度が世界的にも早くなくなった国だから、歴史的に人種差別をした/されたという経験があまりない。
ヨーロッパ人の宣教師が日本人を奴隷にしていたことを知った豊臣秀吉が激怒して、キリスト教禁止の大きな理由になる。こういう残酷な制度は日本人の価値観には合わなかったのだ。
その点では、20世紀まで有色人種への差別行為が合法だったアメリカとはまったく違う。
国内の全州で、黒人のみならず全ての有色人種に対する制度的な差別が、1964年の公民権法制定までのあいだ「合法」行為として大手をふってまかり通ることとなった。
このころまでアメリカ社会では、肌の色の違いがそのまま入り口の違いとなっていた。
「有色人種専用待合室」と書かれたバス停の看板
ミシシッピ州の映画館の「有色人種専用入口」
日本では「人種別の入り口」なんてものはなかったけれど、2014年に浦和レッズのサポーターがとんでもないことをやりやがった。
試合が行われた埼玉スタジアム内で「JAPANESE ONLY(日本人以外お断り)」と書かれた横断幕を掲げたことで、これがあとから差別行為だったと大問題になる。
「差別の意図はなく、反省している」という言い訳が通じるはずもなく、このサポーターが所属するグループは無期限の活動停止になり、メンバー全員が浦和レッズの試合が行われる会場への入場を禁止された。
この事件についてアメリカ人に意見を求めると、「アホだね。無知にもほどがある」とあきれ顔。
彼の経験では、日本の社会には特定の人種への憎悪が少なくて、アメリカのKKK(極端に差別的な白人至上主義者)のような人間は見当たらない。
*程度や種類は違うけど差別主義者は日本にもいる。
だから直接的、攻撃的な人種差別行為は本当に少ないけど、「~はお断り」といった差別行為はけっこうある。
これは日本の歴史ではアメリカのようなヒドイ人種差別がなかったから、それを学ぶ機会もなく、無知からくる行為だったと彼はみる。
人間の心の内側が問題になるのは宗教だけで、社会的には外側にあらわれた言動がすべてだ。
「日本人は入るな!」と思いながらも、笑顔で応対するのはセーフ。
差別意識はゼロでも、「日本人の入店はお断りしています」とするのはアウト。
本当にキレイな動機で、「そういうつもりじゃなかった!」としても、人の真意なんて誰にも分からない。
差別は“見た目”だけで判断されるから、「~とさせていただいております」と丁寧な言葉を使っても、かわいいキャラクターに言わせてもダメなものはダメ。
もちろん心も行動も美しいのが一番なんだが、最低限、誤解されない行動をしよう。
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> 日本の社会には特定の人種への憎悪が少なくて、アメリカのKKKのような差別的な白人至上主義者は見当たらない。
> *もちろんいないことはない。
??? いないことはない?
「日本社会に、差別的な白人至上主義者なんかいるわけないじゃん!」と、私なんか一瞬考えてしまいましたよ。もちろん「アメリカのKKKの白人至上主義者のような(あからさまに)差別的な人間はいない」という意味ですよね。
それとも本当に「差別的な白人至上主義者だって、日本にいないことはない」という意味なのかな?
ま、美しい日本語であるのが一番ですが、最低限、誤解されない表現としてほしいものです。
おっしゃるように意味が通りませんでしたね。
ご質問ありがとうございます。
1回目の緊急事態の時も同じ内容の貼り紙を夜間営業の店は貼っていたけど何の問題も騒ぎにもならなかった。
あの状況一見さんを断るのは狭い店舗でクラスターが出れば周囲も含めてアウト。ただでさえ繁華街はすでに壊滅状態。一見さんを入れていれば追跡調査は不可能なのは東京で実証済み。常連と出入り業者に限定すれば絞り込みは可能だもの。
大体、批判している奴はそもそも御殿場に来てまで店には来ないでしょ。観光地と言ってもアウトレットあるだけでの東京神奈川方面から沼津、静岡愛知方面か箱根へ行く通過点程度の市だし。
大体、一見さんお断りなら普段からそういう事をしている京都の町屋は何だよと。あれだって無用のトラブルを回避する為でしょ。
来たくないなら来なくても一向に構わない。嫌なら来なければ良いだけの話。