日本人にとってご飯の友といえば海苔(のり)。
それを象徴するおにぎりは、日本人がつくり出したご飯と海苔の最高のマリアージュ(相性の良い組み合わせ)と言われる。
っつーのに、前にタイ人とリトアニア人(東ヨーロッパの国)とコンビニへ行ったとき、おにぎりを買ったタイ人が「海苔はいらない」と言いやがる。
タイで海苔を食べたことがなかったから、日本に来てから2年以上がたったいまでも、この食材はどうも口に合わないらしい。
具とお米だけを取り出すの見て、「きさま!」となってしまったが、「日本のお米はとてもおいしい。なのに海苔はそれをジャマしている」とタイ人が言うのを聞くと、まあそれなら仕方ないかなと。
で海苔はどうするのかというと、「はいこれ」とリトアニア人にあげる。
リトアニアは日本由来のカニカマが有名だけど、海苔を食べる食文化はない。
彼に感想をきくと、海苔は好きとか嫌いとかいう以前に関心がなく、「オレは中立だね。味も食感も悪いとは思わないけど、好んで食べたいとは思わない。海苔はあってもなくても、どっちでもいいよ」と話す。
ただ海苔を食べると、紙を食べているような変な感じがするらしい。
タイ人とヨーロッパ人には不評と無関心だった海苔。
日本人との関係をみれば、海苔とは古代からの長い付き合いがある。
奈良時代の701年に制定された「大宝律令」には、海苔が租税のひとつとして表記されているから、そのころには日本人はこの海藻を食していたことがわかる。
税として国に納めたのだから、かなり価値が高かったのでは?
その大宝律令が施行された日を西暦に換算すると2月6日になるから、その日(つまり今日)は「海苔の日」という記念日になった。
はるか昔、海苔は天然のものを採って乾燥させてつくっていた。
それが江戸時代になると海苔の養殖技術が確立したことで、いまの日本人が食べている海苔にグッと近づいた。
江戸湾で採れた海苔を和紙の製造技術を使って、まさに紙をつくるように海苔をつくったことで「浅草海苔」が誕生する。
*浅草海苔の由来については他の説もある。
「浅草紙」があるように、江戸時代のこのあたりは紙作りが有名で進んだ技術を持っていた。
そして江戸後期には海苔の養殖技術が日本全国に伝わり、この海藻を多くの人が口にするようになる。
「山本山」のようにお茶を扱う企業が海苔を扱うことも多い。
その理由をふくめて、さらにくわしい情報はここで確認されたし。
これは両者がいずれも湿気に弱い製品であることから製品の湿度管理のノウハウを両者に応用できることに由来する。
板海苔は和紙の製法と同じだったから、「まるで紙」というリトアニア人の感想はこれ以上なく的を射ていた。
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紙なんて子供のころからさんざんしがんでるけど(飴を包んだティッシュ、唇に張り付いたティッシュ等)風味も味もないけどなぁ。一緒かなぁ?
うまれてから一度も海苔を食べたことのなかったリトアニア人の感想ですからね。
日本人が理解するのは難しいと思いますよ。