前回、韓国に対する中国の見方を紹介したから、今回はその逆だ。
韓国は伝統的に中国をどうみていたのか?
「かつてはわが属国だった」という中国メディアの記事には、ボクにとっては初耳学だったことがある。
約2000年前の中国王朝・前漢と後漢のあいだに、新(しん:8年 – 23年)というセミみたいに短命の王朝があった。
この新の皇帝・王莽(おうもう)は高句麗に対して高圧的な態度をとっていて、あるとき侮辱するために国名を変えてしまった。
「我が中国の文明は世界一ィィィ!できんことはないィィーッ!!」と自国を最高と考えていた昔の中国人は、周辺国を見下す「中華思想」という困った考え方の持ち主でもある。
そんな自己中な意識から、たとえば日本や韓国を「東夷」(東の野蛮な国)と呼ぶこともあった。
ではここでクエスチョン。
高句麗を軽蔑した王莽はどんな国名にしたでしょう?
答えは「下句麗」。
ちなみに王莽は、ただでさえ侮辱的だった「匈奴」を「降奴」にしてさらにおとしめた。
「あの国ムカつく!」と皇帝が漢字表記をこう変えたというのは、果てしなく子供っぽい気がするのだけど、中国メディアの騰訊網に言わせると「高句麗が中原王朝の属地だったことを確実に説明している」ということらしい。
高を下に変えることで侮辱を意味するという2000年前の中国人の発想は、いまの日本人でも理解できる。このへんは漢字文化のおもしろいところだ。
では視点を韓国にスイッチしよう。
韓国の全国紙・中央日報が下のコラムで、「韓国と中国は、古来から深い縁の国だ。その中には、良い記憶もあれば、悪い記憶もある」と書くように、陸続きの韓国はこの大国と切り離して考えることは宿命的にできなかった。
『噴水台』というコラムのなかで中央日報は、王莽が高句麗を「下句麗」に変更したことを代表的な例として、中国の韓国に対する歴史的な見方についてこう書く。(2003.12.28)
中国が国家的に文献や外交発言などを通じ、韓半島王朝を操作し、侮辱しようと試みる例は、このように長い歴史を持つ。
「下句麗」
では歴史的・伝統的に韓国は中国をどう見ていたか。
朝鮮半島の歴史や文化にくわしい著作家の康熙奉(カン・ヒボン)さんが、島国の日本と中国と陸続きの韓国を比較してこう解説する。
有史以来、数えきれないほど中国から侵攻を受けている。その恐怖心たるや、先祖から子孫まで骨の髄までしみ入っていた。朝鮮半島の国家にとって、中国を怒らせないことがいつの時代でも存亡の鍵だった。
「朝鮮王朝の歴史と人物 (実業之日本社) 康熙奉」
ただ陸続きだったからこそ、朝鮮半島は中国の先進的な文化を日本より早くゲットできたという利点もある。
恐怖とは、自分より力のあるものに抱く感情だ。
だからその気持ちは敬意にもなる。
16世紀、豊臣秀吉による朝鮮出兵があったとき、助けに来てくれた明(中国)の兵士を朝鮮人は「明兵」ではなく「天兵」と呼んだ。
中国を怒らさえしなれば、国内の平和は何とか維持できる。
朝鮮政府の人間がそう考えていたことについて、19世紀の朝鮮半島にいたロシア公使が本国への報告書でこう書いた。
中国に属していた時代はこの半世紀の歴史において最も平穏で幸福な時期であったと考えられています。
「朝鮮外交の近代 (名古屋大学出版会) 森万佑子」
このロシア人からみると中国は「朝鮮のゆるぎない精神的な支配者」だったという。
歴史的に韓国は中国に対して、ときには破壊神、別のときには守護神のような複雑な見方や感情をもって接していた。
でも21世紀のいまでは、「ゆるぎない精神的な支配者」へのかつての恐怖や敬意は屈辱でしかない。
だから「韓半島王朝を操作し、侮辱しようと試みる」と文句を言いたくなるのもわかる。
ただ2000年前に中国皇帝が高句麗を「下句麗」にしたことが侮辱というのなら、現代の韓国社会で「土着倭寇」や「倭色文化」(日本文化)のように日本を「倭」と侮辱的に表現するのはやめてほしい。
日清戦争での日本の勝利によって、韓国は中国の支配から解放されたのだから。
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> ただ2000年前に中国皇帝が高句麗を「下句麗」にしたことが侮辱というのなら、現代の韓国社会で「土着倭寇」や「倭色文化」(日本文化)のように日本を「倭」と侮辱的に表現するのはやめてほしい。
ははは、それは無理でしょうよ。