きのう2月23日は天皇陛下の61回目の誕生日。
ということで産経新聞がこんな社説を載せていた。(2021/2/23)
天皇誕生日/令和の「行幸」国民の力に
令和のイ、ユ、ギ? と「行幸」の読み方に迷った人もいるかもしれないが、これは「ぎょうこう(みゆき)」と読む。
ちなみに目的地が複数あるときは「巡幸(じゅんこう)」になる。
天皇陛下がお出かけになることを行幸といい、これは国民と直接触れ合う大事な機会となっている。けどこのコロナ禍ではそれがなかなかできないため、陛下は残念に思っていらっしゃるという。
そんな天皇誕生日を記念して、今回の話は「行幸」だ。
静岡市は山田長政の生まれた場所といわれていて、下のような胸像がある。
16世紀の駿河の人、山田長政はタイにわたって多くの日本人(戦国武士)を率いてタイのために戦い、国王から高く評価された。
のちにリゴールという服属国の「国王」(太守)に任命されるものの、政争で毒殺されこの世を去る。
くわしいことはここをクリック。
こんな話を日本の大学に通うタイ人の女子大生に話すと、「まじ行きたいし!」と言うから数年前にここへ連れて行った。
ちなみに「ヤマダナガマサ」と言っても通じなかったけど、長政のタイでの呼び名「オークヤー・セーナーピムック」ならすぐに分かった。
静岡駅からこの胸像へ向かう途中に「御幸町」がある。
この町はむかし、昭和天皇が行幸されるということで静岡駅から直線道路が造られて、そこが「御幸通り」と名付けられたことに由来する。
こんな感じに日本人には、通りや地名に縁起の良い名称を付ける「瑞祥地名」(ずいしょうちめい)の発想が古代からある。
「亀なし」では縁起が悪いということで、「亀有(かめあり)」になった地名が東京都葛飾区にあるし、群馬県高崎市は「成功高大」の意味から和田から高崎へ改名された。
織田信長が命名したという「岐阜」もそうだ。
天皇の行幸を記念して「御幸」と名付けられた瑞祥地名は全国にあり、たとえば埼玉県では「下町」という地名が「御幸町」へ変更された。
御幸町は大正元年(1912年)に所沢飛行場で行われた陸軍大演習の閲兵のため、大正天皇が行幸した記念に大正4年(1915年)に改称されました。
日本人の感覚としても、下町よりは御幸町のほうが縁起の良い、よりハッピーな気分になるのでは。
北海道から九州にある御幸町は ここ をクリックするとわかるけど、そのすべてが天皇の行幸に由来するのかは不明。
数が多くて、すべてを調べるのは無理。
日本人のこんな考え方の根底には、民俗学者の折口信夫が言った「まれびと」の思想があるかもしれない。
客人(まれびと=神)が遠いところから、人々に幸運を授けるためにやって来るという「まれびと」論を折口は提唱した。
正月になると訪れる歳神もそんな来訪神のひとつで、門松やしめ飾りはそんな年神を迎えるためのものだ。
天皇の訪れを意味する行幸は「幸せがやって来る」ということだろうきっと。
山田長政の像へ向かう途中、タイ人にいま歩いているこの御幸通りもそうなんだよと話すと、「それ、タイにもありますよ!」と笑顔で言う。
元気があってよろしい。でも、タイにも瑞祥地名の考え方があるのか?
話をきくと、タイの国王は「ラーマ〇世」と呼ばれていて、過去の国王にちなんだラーマ2世通り、ラーマ4世通り、ラーマ9世通りなどの道路があるという。
このタイ人もそうだけど、国民は基本的に国王が大好きらしい。
日本には天皇、タイには国王がいるのだから、両国で敬意や親しみを込めて、通りにこういう名称が付けられるのはナチュラルだ。
タイ人にとってはラッキーなイメージと言うから、タイ版の瑞祥地名と言っても間違いじゃない。
でも、「昭和天皇通り」「大正天皇通り」といった直接的なものではなくて、「御幸通り」と控えめな命名にしているところは日本人のらしさが出てると思う。
「昭和通り」や「明治通り」なども元号から採用された名称が多く、天皇には間接的に由来している。
このへんの距離感も「国王大好き!」と言うタイ人とはちょっと違う。
タイでは国王の写真を駅や高速道路、ショッピングモールなど街のいろんな所で見る。
その意味では国民との距離が近い。
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日本語の「下町」「山の手」とよく似たような意味で、英語には「downtown」「uptown」という言い方があるのですが、まったくの偶然なのでしょうか?
もと下町っ子の自分としては「御幸町」などと気取った名前にされるよりも、そのまま「下町」で充分な気もするのですが。「御幸町」って言うと洋装店が集まっている町とか?(おそらくスーツメーカー社名からの連想です。)