【日本の干支】中国と違い、豚ではなく「猪」になった理由

 

古代中国でうまれた干支(えと)。
当時の中国は文明国で超インフルエンサーだったから、その影響は東アジアへ広がっていく。
だがしかし、ベトナムの干支は「東南アジア化」して中国や日本とは違い、猫年と山羊年、それに水牛年がある。ということを前回書いた。
このとき日本の干支にはブタ年がなくて、代わりにイノシシ年があることにふれたので、今回はその理由について書いていこうと思う。

ちなみに「ねずみ、牛、虎、うさぎ、龍、へび、馬、ひつじ、さる、鳥、犬、いのしし」の12の動物は十二支が正確な表現なんだが、日本では一般的には干支と言われているので、ここではそのことばを使うことにする。

 

さて、ブタを中国の漢字で書くと「猪」になる。
何を言ってるのか、わからねーと思うが、もう一度書きますね。豚は中国語で猪です。
野生のイノシシを人間が飼いならした動物がブタだから、猪も豚ももともとは同じ動物だ。そんな背景から中国でイノシシには「野猪」、ブタには「猪」という漢字が使われている。
歴史をみるとこのほうが正確かもしれない。

ではなんで日本の干支では、ブタ→イノシシの変換が行われたのか?
その正確な理由はわからん。が日本の養豚の歴史をみてみると、ヒントをつかむことはできる。
中国では数千年前にイノシシを家畜化してブタにしていたけれど、日本に養豚が伝わったのは200~600年代と考えられているからかなり遅かった。

日本養豚協会によると、そのあとすぐ仏教思想の影響でイノシシの家畜化(ブタ化)も衰えた。

仏教の伝来に伴い、徐々に殺生禁断の思想が日本国内に広まっていくと、食肉の習慣が無くなり、養猪(養豚)も衰退していきました。

野生のイノシシから豚へ 

 

このへんの事情については、ウィキペディアの「養豚」によりくわしい説明が載っている。

日本の本州、四国、九州及びその周辺島嶼では江戸時代まで、不殺生戒がある仏教の影響で食用家畜を飼育する文化が衰退した。

 

この不殺生戒は、貴族や僧侶がよく守っていた一方、武士はそうでもない。
だから鎌倉時代に武士がウサギ、猪、鹿、クマ、狸などを捕まえて食べることはあった。
でもいまネットで調べてみたんだが、鎌倉~戦国時代に日本人がブタを食べたという記録が見つからない。

『かながわ夢ポーク』のサイトによると日本における養豚の始まりは、ペリーの黒船と共にやってきたという。
日本が開国したことで横浜に多くの外国人が住むようになって、彼らに供給する豚肉を生産するために横浜で豚が飼われるようになる。
日本で本格的な養豚が始まったのはこうした背景に加え、政府が国民に肉食を奨励した明治時代になってからとみていい。
政府が雇った外国人指導者から、初めて西欧の豚の飼育法が導入され全国で豚の飼育がスタートした。

 

 

ということで明治時代になるまで、日本人にとってブタはまったく身近な動物ではなかった。
獣肉を食べることはあっても、それは野生の獣を狩って食べることが主流で、家畜として何かを育てていたわけではない。
もちろん部分的、例外的にはあった。
日本にブタはいないも同然だったから、干支ではその代わりに身近にいたイノシシが採用された。
そう考えるのですよ。

中国のブタが日本ではイノシシになるという変化は、干支のほかにも西遊記でみることができる。
中国の猪八戒はブタなのに、日本ではイノシシだ。
当然この逆もあって、『野ブタ。をプロデュース』の中国版は『野猪大改造』とイノシシになった。
「野ブタ」とは家畜化されていないブタだから、まんまイノシシなんだが、まぁ細かいことはいいとしようか。
干支がベトナムで「東南アジア化」したように、日本では日本化したのだ。

 

中国のブタの猪八戒

 

20世紀前半の歴史家で思想家の津田 左右吉(つだ そうきち:明治6年 – 昭和36年)は、日本の文化についてこう言った。

源流を欧米に発したものではあるが、それが世界の文化となり、その世界の文化の日本での現われが現代の日本の文化なのである。

「日本精神について (津田 左右吉)」

 

起源が中国や欧米にあったとしても、その現れた方が日本の文化になる。
中国とは違う干支もそんな日本文化のひとつだ。

 

津田の説は、戦後の古代史研究における大きな成果であり、津田史観と呼べる見解は今日の歴史学・考古学の主流となっている。

津田左右吉

 

 

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2 件のコメント

  • > ではなんで日本の干支では、ブタ→イノシシの変換が行われたのか?
    > その正確な理由はわからん。

    ???
    そうですか? そんなことないですよ。
    > 中国でイノシシには「野猪」、ブタには「猪」という漢字が使われている。
    という状況だったから、その漢字をそのまま取り入れた結果、中国の「猪(=ブタ)」が日本の「猪(=イノシシ)」になったんじゃないですか? 理由はそれしかあり得ないと思いますが。

    そもそも「ブタ」という読み方の単語がいつから日本国内でポピュラーになったのか知りませんけど。昔は無かったのでは? この記事にも書いてある通り、明治期になってからはじめて「ブタ(豚)」という単語が一般的になったのかもしれません。
    もちろん、干支は明治以前からありますからね。年の順番だけでなく、1日の時刻も干支で表されていたのだし。

  • >中国の「猪(=ブタ)」が日本の「猪(=イノシシ)」になったんじゃないですか?
    これはつまり、日本にブタがいなかったということです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。