日本で初めてエスカレーターが登場したのは、第一次世界大戦が始まった1914年。
大正3年のこの日、東京大正博覧会で約240mの長さのエスカレーターが、桜並木を見下せるように設置されたことで、きょうはエスカレーターの日になっている。
その後の発展についてはここをどうぞ。
日本の百貨店へのエスカレータ普及期にあっては、エスカレーターの脇にエスカレーターガールという女性が立って乗り込みの案内をしていたことがあった。
この文明の利器はいまでは世界中に広がったのだけど、外国人からすると、日本で見られる光景は他の国とはチョット違うらしい。
日本初のエスカレーター(1914年)
川崎市にある世界一短いエスカレーター(ギネス認定)
海外メディア「khaleejtimes」の記事で、日本を訪れたアラブ首長国連邦の人たちの感想が載っている。(October 16, 2016)
Japan: A culture of respect and discipline
このアラブ人から見ると日本には他者に敬意を持ち、規律正しく行動する(respect and discipline)文化がある。
日本人は控えめで、組織として効率的に動くと指摘する人がいれば、リサイクルを重視して可能な限りモノを使い、いつも清潔に注意を払っていることに感心する人もいる。
アラブ人が印象的だった日本人の「respect and discipline」の具体例にはこんなものがある。
日本に滞在中、電話の呼び出し音を聞いたり、大声で話をしている人を見たことがなかった。
電話をする必要のある人はその場から出ていく。(きっと「あ、お世話になります」と頭を下げながら)
周囲の人に気を配って行動するのは、他人を尊重することが日本の文化として定着しているからだという。
こうした点に、日本人とアラブ人との大きな違いを感じた人が多い。
「Laila Helena Poblete」という女性は東京で、急いでいる人に道を譲るために、みんながエスカレーターの左側に並んでいたことを特筆している。
When staying in Tokyo, everyone would line up on the left side of the escalator to give way to those in a hurry.
空港に着いてこの光景を見て、日本では常識となっている規律や配慮に感動する外国人はけっこういる。
知人のモロッコ人(アラブ人)も、これが日本人の強烈な第一印象になった。
ではここでクエスチョン。
上のエスカレーターの写真は東京か大阪のどっちでしょう?
答えは、左側が空いているからこれは大阪のエスカレーターだ。
東京では逆に右側空けがお約束となっている。
でも、エスカレーターで歩くことは危険で故障の原因にもなるから、いまでは片側を空けるのはむしろ“マナー違反”になっている。
だからこれからは日本人の「respect and discipline」は別の形で見せることにしよう。
おまけ
「本を貸すバカ 借りるバカ そのまた本を返すバカ」ということばの元ネタはアラブのこんなことわざらしい。
「He who lends a book is an idiot. He who returns the book is more of an idiot.」
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> 日本の百貨店へのエスカレータ普及期にあっては、エスカレーターの脇にエスカレーターガールという女性が立って乗り込みの案内をしていたことがあった。
いや、普及期どころか、エレベーターガールも、エスカレーターガール(百貨店のエスカレーターの乗り口付近で客に挨拶する女性)も、つい最近までいましたよ。ブログ主さんの地域では違うのですか?
エスカレーターの片側を急ぐ人のために開けて乗るという慣習は、日本オリジナルじゃなくて、欧米(確かアメリカだったか?)から取り入れられたものだと思いましたが。「急ぐ人=優先させるべき人=ビジネスマン」という感覚が社会全体で合意されるようになったのは比較的最近であり、もともとの日本人にはなじみのない考え方です。手塚治虫作「火の鳥・未来編」における「人類戦士専用エスカレーター」なんかの描き方を見ると、昭和の日本人が抱いていた「特権者通路」に対する感じ方が分ると思いますよ。
これはウィキペディアの記述です。