【自由の価値】バングラデシュが25年で2度も独立した理由

 

きょう3月26日は日本では「カチューシャの歌の日」なんだが、バングラデシュでは独立記念日という一年で最も重要な日。

*1914(大正3)年のこの日、日本で「カチューシャの歌」が大流行した。

日本で働くバングラデシュ人はこの記念日に、こんなメッセージをSNSに投稿した。

Today (26th March) is 50th Independence Day of Bangladesh.
We started our country almost nothing..facing a lot of obstacles, disaster and others a lot of problems..
But country is going forward..! We wish this young country goes into more prosperous,
Live long Bangladesh!

今日(3月26日)は、バングラデシュの50回目の独立記念日です。
私たちは、ほとんど何もない状態から国をスタートさせました。多くの障害、災害、そしてその他多くの問題に直面しました。
しかし、国は前進しています。この若い国がもっと豊かになることを願っています。
バングラデシュよ、永遠なれ!

ということでこれから、東南アジアでも有数のこの親日国について知っていこう。

 

 

面積:14万7千平方キロメートル(日本の約4割)
人口:1億5940万人(2015年10月)
バングラデシュの人口密度はもはやヘル(地獄)。

首都:ダッカ
宗教:イスラム教徒89.7%、ヒンズー教徒9.2%、仏教徒0.7%、キリスト教徒0.3%(2001年)

言語:ベンガル語(国語),成人(15歳以上)識字率:72.3%(2016年)
バングラデシュとはベンガル語で「ベンガル人の国」という意味。

上の数字は外務省のホームページ「バングラデシュ人民共和国 基礎データ」から。

外務省HPには日本とバングラデシュの関係について、「経済協力関係を中心に友好関係が発展。極めて親日的な国民性」と書いてある。
国民性が「親日的」というのもめずらしい。

 

さて、この国については高校世界史でこうならう。

バングラディシュ独立

パキスタンからのバングラディシュ人民共和国の分離・独立。
1947年に独立したパキスタンでは、西パキスタン西部が経済的・政治的優位にあり、西部を優先する政策がとられていた。さらに、ウルドゥー語を国語にしようとしたため、主にベンガル語を使用している東パキスタンがインドの支援を得て独立を宣言した。

「世界史用語集 (山川出版)」

 

もともとインド・パキスタン・バングラデシュはイギリスの植民地支配を受けていた。
でも1947年に、イギリスからインドとパキスタンが独立を果たす。
しかしこのときのパキスタンは、西パキスタン(いまのパキスタン)と飛び地の東パキスタン(バングラデシュ)で成立する国だった。
この“遠距離恋愛”は結局、失敗する。

 

 

経済力・軍事力では西の方が上で、東パキスタンは実質、西パキスタンに支配されている状態。
これじゃ植民地時代と変わらないじゃないか。
特にベンガル語をウルドゥー語に劣る「二等言語」とみなされたことで、「ベンガル人の国」の人たちの怒りが爆発。
民衆は銃を持って立ち上がった。

パキスタンはインドの敵。敵の敵はインドの味方。
ということで、インドの助けもあって1971年3月26日、東パキスタンはバングラデシュとして独立国となる。
24年の間で2度も独立を達成した国なんて、バングラデシュ以外に知らない。

*四半世紀という意味でタイトルは「25年」とした。まぁ細かいことは気にしないでくれ。

 

その日を祝って、先ほどとは別のバングラデシュ人がこんなコメントをする。

It’s Independence day of BANGLADESH 🇧🇩.
1971 we got a free land from Pakistan after a terrible nine months war. We were forced by Pakistan to speak in Urdu language and we fought and won, of course INDIA 🇮🇳 helped us. I’m grateful to India. Bangladesh is the only one country who fought for its language.
!!!JOY BANGLA!!!

今日はバングラデシュの独立記念日です。
1971年、私たちは9ヶ月間の恐ろしい戦争の後、パキスタンから自由な土地を手に入れました。
私たちはパキスタンからウルドゥー語で話すことを強要されていましたが、戦って勝利しました。
もちろんインドが私たちを助けてくれました。インドには感謝しています。バングラデシュは自国の言語のために戦った世界で唯一の国です。

 

イギリスからの1度目の独立は言ってみれば身体・精神の自由を求めて、2度目のパキスタンからの独立はベンガル語のため。
だからバングラデシュの人たちは自由の価値と、そのために払った犠牲をよく知っている。
「世界最古の国」といわれる日本には、建国記念の日はあっても独立記念日はない。異民族に支配された歴史がいない。
だからこういう人たちから、独立や自由の大切さを学んでもいい。

ちなみにこれがベンガル文字。

স্বাধীনতা তুমি
রবিঠাকুরের অজর কবিতা, অবিনাশী গান।
স্বাধীনতা তুমি
কাজী নজরুল ঝাঁকড়া চুলের বাবরি দোলানো
মহান পুরুষ, সৃষ্টিসুখের উল্লাসে কাঁপা-
স্বাধীনতা তুমি

 

おまけ

首都ダッカの様子

 

 

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3 件のコメント

  • > イギリスからの1度目の独立は言ってみれば身体・精神の自由を求めて、2度目のパキスタンからの独立はベンガル語のため。

    私が中学生のとき、英国からインド・パキスタン・セイロン’(現在のスリランカ)が独立したのは、もともと宗教による区分であったと習ったのですが。パキスタンは東も西もイスラム教徒が多かったと。
    そのバングラデシュ(ベンガル人の国)から隣国ミャンマーへやって来た(?)とさせる「ロヒンギャの人々」ですが、やはりベンガル語を使っているので、バングラデシュ起源でたぶん間違いないのでしょうね。でも、だとすると、バングラデシュは、どうしてロヒンギャの人々を受け入れてあげないのですか?
    大陸の国家は国境問題や民族問題が色々と面倒ですね。日本は島国で本当に良かった。

  • こんどは、
    > タイ、越境者を強制退去 ミャンマー国軍の空爆から避難してきたが 3/29(月) 19:07配信 時事通信
    だそうですよ。
    バングラデシュも、そうやすやすと隣国からの難民を受け入れるとは思いませんが。
    まあしかし、日本は島国でよかったです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。