欧米人・アジア人・日本人にとってのイースター(復活祭)

 

4月4日の日曜日、キリスト教徒のベトナム人がSNSにこんなお祝いのメッセージをしていた。

「Mừng Chúa Phục Sinh ! Aleluya❤️」

主よ、ご復活おめでとうございます❤️ という意味らしい。

そうか。
漢字圏の人間にとってはあまり縁起の良くないきょうは、キリスト教徒にとってはめでたいイースターの日だった。
イエス=キリストが処刑されて埋められて、でも、その3日後には生き返ったという奇跡を祝福するのがこのイースター(復活祭)。
春分の日が終わって、最初の満月の次の日曜日が復活祭の日になる。

 

これだけ見れば引田天功

 

日本人にとって春のシンボルは何といっても桜で、春のイベントなら、花見かヤマザキ春のパン祭りかで意見が分かれるところ。

きのう公園で花見をしたアメリカ人・イギリス人・カナダ人にきいたところ、春の象徴はイースターと全員が口をそろえて言う。
アメリカ人が「さあ、卵探しをしようぜ!」と言うと、イギリス人やカナダ人がその冗談に付き合って、周囲の草をかきわけるフリをする。
卵はキリストが復活したシンボルだ。
それでイースターの日には、親が卵を庭に隠して子どもが見つける「卵探しゲーム」が欧米ではよく行われる。
みんな子どものころにこれを経験済みだから、アメリカ人の言ったことは、国の違いに関係なくみんな一瞬でわかる。

こういう一体感や連携感が、ゼロとは言わないけど日本人にはない。
歴史的・伝統的には仏教の文化圏にいる日本人・タイ人・台湾人、または儒教文化圏にいる日本人・中国人・韓国人が一緒にいたとしても、みんなが共通の常識を持っていて、これと同じ行動を自然にとれるものがあるとは思えない。
特に無宗教が多い日本人には。

 

最近は日本でも、こんなイースターエッグは知られるようになってきた。

 

 

カトリック教徒のフィリピン人もきょう、「Whatever your weaknesses, pasts and sins, Christ has died for you.Happy Easter!」とSNSに投稿していた。

あなたにどんな弱さや過去、罪があっても、キリストはあなたのために死んでくださいました。ハッピー・イースター!

ボクのまわりを見ると欧米人がキリスト教に関心がなくて、ベトナム人やフィリピン人などのアジア人が熱心で信心深く、何かあるとよくこういうメッセージを発信する。

そういうキリスト教文化圏とは無縁のボクには、「死」のあとに「祝う」ということばが続くことに違和感ありまくり。
ことばだけで言えば、イースターは「神よ、死んでくれてありがとう。そして復活おめでとうございます」ということになる。

 

日本ではこの時期、イースター仕様のお菓子が店にならぶ。
クリスチャンでもなければ、イースターはクリスマスと同じように文化として楽しむか、販売促進に利用するぐらいだろう。

 

さて、イースターの2~3週間まえにはシャカが入滅した(亡くなった)、仏教徒にとってはとても大事な日がある。
シャカが仏教のゴールである涅槃に旅立った日で、旧暦の2月15日(現在の暦だと年ごとに移動する)に、シャカをしのんでお寺で「涅槃会(ねはんえ)」の仏教行事やそれにちなんだイベントが行われる。
いまの日本で知名度と人気なら、これより復活祭(イースター)の方がきとっと上。

2500前に悟りを開いてニルヴァーナ(涅槃)に旅立った人のこと、時々でいいから……思い出してください。

 

 

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1 個のコメント

  • > そういうキリスト教文化圏とは無縁のボクには、「死」のあとに「祝う」ということばが続くことに違和感ありまくり。(改行)ことばだけで言えば、イースターは「神よ、死んでくれてありがとう。そして復活おめでとうございます」ということになる。

    うーん、その違和感は、日本人の宗教感の他に、日本語の表現にもよるのでは? もう少し説明を追加すると、次のように表現できます。
    「イエス様、我々人間が生まれながらに抱えている原罪を、我々の代わりに背負って、その罰として(一度は)死へと赴いていただき、ありがとうございます(=感謝の意)。そして死の世界から復活されたこと、本当におめでとうございます(=祝賀の意)。我々も今からイースターでその復活をお祝いします!」
    我々日本人と違い、彼らの「死」と「復活」は「出来事」の叙述ではなくて、一人の人格(神格?)を有するイエス・キリストへ個人対個人の考えとして届けるべき「見解」なんです。だから「死」の直後に「祝」が続いたって別に不思議ではないのだと、おそらく、彼らは考えるのでしょう。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。