きょねんインド人とバングラデシュ人と一緒に、富士山を見に行ったときのこと。
このバングラデシュ人(20代・女性)が日本の妖怪や怪獣に興味があると言うから、具体的に何が好きかきいたら、「九つのしっぽのある狐が大好き」と言うからビックリ。
九尾の狐(きゅうびのきつね)なんて、日本人でも知らない人がいるはず。
この空想上の生き物は中国の物語に登場し、日本には奈良か平安時代に伝わったとされる。
江戸時代には九尾の狐が玉藻前(たまものまえ)という絶世の美女に化けて、鳥羽上皇に仕える話が庶民の間で人気を集めた。
九尾の狐を描いた歌川国芳の浮世絵
そのバングラデシュ人はネットフリックスで、日本のドラマか映画を見て九尾の狐が気に入ったらしい。
なるほど。これが21世紀か。
でもさすがに、これが中国うまれとは知らなかった。
「もうひとつ大好きな妖怪がいるんです!」と彼女は言うけど、話を聞いてもそれが何かさっぱりわからん。
日本の妖怪や化け物についてはけっこう知ってると思っていたが、このバングラデシュ人の言うモノが見えてこない。
「その妖怪の画像を見せたほうが早いですね」とスマホで検索して、ボクに見せてくれたのは韓国の化け物だった。誰が知るか。
隣国の妖怪までキャッチできるほど高性能な妖怪アンテナは持ってないし、そもそもそのバングラデシュ人が見たのは韓流のドラマか映画だった。
それでボクが、「それは韓国の話で、その妖怪は日本とまったく関係ない」と言うと、「そっかー」と笑って別の話題に移ると思いきや、すこしムッとした顔をする。
空気が変わった?と思ったら、「スシとか桜とか有名なものならともかく、こんなことで日本・韓国・中国の区別がつくわけない」と不満そうにバングラデシュ人が言う。
予想外の強い反応でややとまどう。
一緒にいたインド人も加勢して、「外国人が日本と韓国の、一つ一つの違いなんてわかるワケないですよ。わたしも前に、桜は実は韓国から伝わったと聞いて意外に思って、日本人の友人に話したら「それは違う!桜は日本のもの。誤解しないで」と強く言われた」と話す。
第三の外国人は日中韓の東アジアを、特に文化的には「あのあたり」とひとくくりにして考えているから、具体的なものを見て、どれが日中韓のものか分からないのが普通。
でもこのバングラデシュ人もインド人も、日本人からそのへんの違いについてやや厳しめに指摘されたと文句を言う。
たしかにそういう認識の違いはあるかも。
関係ない外国人は日本・中国・韓国をひとまとめにしがちだけど、日中韓の人間は一緒にされることを嫌って、個々の”帰属”をはっきりしょうとする。
ニューヨークに住んでいたアメリカ人がよく行く日本料理店でキムチがあったから、自然とそれを日本料理と思い込むようになった。でもあるとき、韓国系アメリカ人からその無知を叱られたと言う。
また同じくアメリカで、韓国系アメリカ人の女性と付き合っていた知人の白人男性が、彼女の家で出された料理を見て「ボクはスシが大好きなんだ。ありがとう」と笑顔で言ったら、「違う!これはキムパプ(김밥)だ。スシと言わないでほしい」と彼女と母親からたしなめられた。
この2人のアメリカ人の思いもインド人・バングラデシュ人と同じで、「んなもん誰が知るか。そもそもどーでもいい」だったはず。
ちなみにキムパプとはこんな食べ物。
世界の95%以上の人は「SUSHIですね」と言うのでは。
2年前、東ヨーロッパのリトアニア人・ベトナム人・中国人と植物園に桜を見に行くと、こんなみごとな盆栽を発見。
これを見たリトアニア人が「ボンサイはいまヨーロッパで人気の日本文化だよ」と言うと、「いやそれは違う。盆栽は中国文化だ」と中国人が反論。
ベトナム人も「母国でボンサイは日本文化と思われている」と言うと、「その認識は間違いだ。盆栽という漢字を見てほしい。あれは中国語だから、盆栽は中国でうまれた文化なんだ」と食い下がる。
結局リトアニア人が、「OKOK、オレはよく知らなかったんだ。悪かったね」と場を収めて終わり。
でもこのリトアニア人の思いもインド人・バングラデシュ人・アメリカ人と同じで、「誰が知るか」だったはず。
盆栽の由来はたしかに中国で、唐の時代にあった「盆景」が平安時代に日本へ伝わったといわれる。
その後、日本で独自の発展をとげて、いまでは世界中で日本語の「BONSAI」が使われているのだからこれはもう日本文化だ。
でも中国文化の要素もあるから、この中国人の気持ちもわからなくはない。
そういえば地元に「ボンサイ柔術」という、どこを目指しているのか不明なブラジリアン柔術のジムがあったっけ。
欧米人や南・東南アジアの人間からみたら、東アジアの文化はだいたい同じで、細かい違いなんてわかるわけがない。
でも日本人・中国人・韓国人はそういう認識を嫌って、帰属や由来をはっきりしょうとする。
いろんな外国人と付き合っていると、日中韓の「一緒にすんな」とそれ以外の外国人の「どっちでもどっち」という意識のギャップをたまに感じる。
日中韓は互いに気にしすぎか。
インド人やバングラデシュ人は、パンの一種でカレーに付けて食べるナンやチャパティの由来なんて気にしないし、NYに住むアメリカ人はニューヨークベーグルやニューヨークピザの起源なんてどうでもいいと言う。
*ベーグルはもともと東ヨーロッパにいたユダヤ人の食べ物。
だからもし外国人が”間違い”を犯したら、笑顔でやさしく事実に導いてあげよう。
けっして感情的にはならないように。
最近、中国人と韓国人が文化をめぐって対立している。
中国で韓国の歴史や文化を”中国のもの”とする主張が出てくると、韓国側がこれに激怒。
それである韓国企業が「中国のあらゆるうそが消えることを願い」と、有名な中国料理の火鍋と麻辣湯をジョークで”韓国のもの”と言った。
朝鮮日報の記事(2021/04/02)
「韓国人の祖先は古来より火鍋と麻辣湯を…」 それってどういうこと?
すると今度は中国側が怒って…の悪循環にいま中韓がはまりつつある。
このことはまた別の記事で書くつもりだけど、第三の外国人の視線を意識して、東アジア村の中だけで熱くなるのはやめたほうがいい。
「ベーグルピザ」まである21世紀でも、東アジアでは”起源論争”がいまも絶えない。
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日本人の「おもてなし」、マナーの向上・雨乞い~東京オリンピック~
> いろんな外国人と付き合っていると、日中韓の「一緒にすんな」とそれ以外の外国人の「どっちでもどっち」という意識のギャップをたまに感じる。
ははははは、そこまで欧米人たちの価値観に合わせる義理もないでしょう。こっちにしてみりゃ、彼らがこだわる「ラテン、ゲルマン、アングロ・サクソンの違い」なんぞ、めんどくさいだけだし。お互い様ですよ。
だけど、歴史・政治学者のハンチントンでさえも「日本文明圏は中国文明圏とは異なるもの」と、「文明の衝突」で述べているくらいだから、東アジア中で日本だけは違いを自己主張したって妥当と思いますが。