3年前、友人の台湾人(20代・女性)がボクに会うために日本へやって来た。
という夢を見た。
リアルではその台湾人は、2人の友だちを連れて旅行で日本へやって来て、東京で遊んだ後に伊豆に来るというので、静岡県民のボクが案内することとなる。
日本人と台湾人のコミュニケーションツールは漢字。
日台の街には漢字があふれているから、台湾を旅行した日本人なら、漢字を見て楽しんだり感心した人も多いはず。
ボクが台湾に行ったとき「麥當勞(マクドナルド)」は、見てもさっぱりわからんかったが(音でこの漢字になった)、ファミリーマートとその漢字表記「全家」には接点が見えた。
「沙龍」ということばは中国拳法を極めた女性か、すっげーうまい中華料理店のことかと思いきや、サロン(美容院)のことだという。
これも発音からこの漢字があてられた。
伊豆半島で見た台湾料理店
台湾人に「金金金」の漢字の意味をきいたら、「きっと店のオーナーの苗字でしょうね」とのこと。
台湾人が日本にやって来ると同じように、漢字の同じと違いに関心をもつ人が多いようだ。
3人の台湾人が東京のあちこちを見て歩いて「あれ?」と違和感をもった漢字が、コーヒーショップの看板で見た「珈琲」の文字。
「coffee」を日本では漢字でこう書くけど、台湾では「咖啡」になる。
飲み物を表す漢字だから「口ヘン」になるのは分かるとして、なんで日本の漢字は「王ヘン」なのか?
3人ともこの違いを不思議に感じた。
ではネタバレしていこう。
戦国時代にヨーロッパ人の宣教師が持ってきたコーヒーは、当時の日本人には定着しなかった。
コーヒーは長崎の出島でオランダ人が飲んでいたもので、江戸時代のあるとき、文人の大田 南畝(おおた なんぽ)がこれにチャレンジして、その感想を自身の随筆『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』(1804年)にこう書いた。
「豆を黒く炒(い)りて粉にし,白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪へず」
日本人によるコーヒー・レビューとしてはこれが最も古いか、最古のころのもの。
ようするに日本人の口には合わなかったのだ。
この黒い飲み物に医蘭者の宇田川榕菴(うだがわ ようあん:1798年 – 1846年)が注目する。
宇田川榕菴
日本初の本格的なコーヒーショップは、明治時代に東京でうまれた『可否茶館』という。
このときは「可否」をコーヒーの当て字にした。
宇田川榕菴はオランダ語の koffie に「哥非乙」という漢字を使い、さらに「珈琲」という当て字も考案したという。
現在の「珈琲」という訳語を作ったといわれるにも宇田川だ。
日本にヨーロッパの近代科学を紹介したのが宇田川は、いまも使われるこんな日本語もつくった(訳した)。
酸素、水素、窒素、炭素、白金、元素、金属、酸化、還元、溶解、試薬、細胞、圧力、温度、結晶、沸騰、蒸気、分析、成分、物質、法則
この功績から宇田川は日本における“近代化学の始祖”と呼ばれることもあり。
ではなんで彼は、コーヒーに「珈琲」という漢字を当てようと考えたのか?
ヒントはコーヒー豆にある。
珈とは「珈(かみかざ)り」のことで、珈琲で「玉を連ねた飾り」という意味になる。
赤くて丸いコーヒー豆が女性の髪飾りのように見えたことから、宇田川はこの漢字にしたという。
マクドナルドの音訳が「麥當勞」で、ファミマの意訳の「全家」。
宇田川の「珈琲」は音訳と意訳の両方を兼ねそなえている。
この日本人が作った漢字は中国に逆輸入されたあと、中国語では「咖啡」と口へんに変化したらしい。
ロマンチストさんなら「珈琲」がいいし、実用的な人間なら「咖啡」がいい。
知人の台湾人にはこの違いがわからなかった。
まぁ多くの日本人もそうだろうけど。
おまけ
いまの大河ドラマの主人公・渋沢栄一はコーヒーをカタカナで表記して、そのレビューをこう書いた。
「カフェーという豆を煎じたる湯をいだす。砂糖牛乳を和してこれを飲む。すこぶる胸中をさわやかにす。」
同じ物ではないだろうけど「焦げくさくして味ふるに堪へず」からは、かなり現代の日本人の舌に近づいている。
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