ポケモン、コナモンと並ぶ「日本三大モン」のひとつとして有名なのがジョウモン。
(いやいや)
縄文時代の遺跡で、青森にある「三内丸山遺跡」を含めた遺跡群がもうすぐ世界遺産に登録されるという。
ユネスコの諮問機関が「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田にある17の遺跡)を世界文化遺産に登録するよう勧告した。
この勧告を受ければ、「実はあの遺跡は最近作りました。」とかいうとんでもない事態が起こらない限り、世界遺産に登録されるはず。
縄文時代の人たちがどんな生活をしていたか、どんな文化を持っていたのかを示すこれらの遺跡は、日本を越えて世界的に価値のあるものだと認められたわけだ。
この知らせにはネット民も大歓喜。というわけでもないらしい。
・おめでとう!!
・もののけ姫の影響だな
・勧告って怒られるのかと思った
・日本って〇〇群とかいう無理やりな世界遺産多すぎじゃね?
・乱発感はあるけど
東北 北海道の人にとっては嬉しいニュース
・長崎の原城跡とか世界遺産なのにいつも閑古鳥泣いてるぞ
たしかに「おめでとう!!」の数が増えるほど、世界遺産のありがたみや”レア感”はなくなる。
そのうち「モンドセレクション金賞化」したりして。
縄文時代の三内丸山遺跡には、数百人(一説には500人)の人たちが住んでいたと言われる。
出土品のDNA鑑定から、ここでは栗が栽培されていたことが明らかになったし、クルミ、ゴボウ、マメなども発見されたから、いろんな植物を食用に栽培していた可能性も高い。
大人や子どものお墓も見つかっているから、何らかの埋葬文化もあったに違いない。
死者を悼(いた)むというのがヒトと動物の違いで、これが人類による文化の始まりという説もある。
また体の不自由な人は介護を受けていたという。
縄文人というと、森に入って鹿やイノシシを狩ったりドングリなどを拾って、それらを食べて生活していたような、かなり原始的なイメージがあったけど、三内丸山遺跡が教えてくれたものを見ると思ってたより先進的だった。
彼らはこんなふうに、ヒスイを加工する技術も持っていたのだから。
縄文時代の期間はおよそ1万3千年前~約2千3百年前の約1万年間で、その前が旧石器時代で後が弥生時代になる。
旧石器時代と縄文時代の違いには、土器の制作・弓矢の使用・定住化とムラの形成などがあげられる。
また弥生時代の特徴には、本格的な水田稲作や金属器の使用がある。
くわしい説明はここを見てくれ。
人間と同じ墓域において埋葬状態で出土する例も多く、縄文時代を通じてイヌを家族として扱い、人ともに埋葬する習慣があったことが伺える。
「クッキー」まで作っていた。
毎日新聞のコラム「余禄」(2021/5/28)によると、縄文時代の人たちはアスファルトも使っていた。
コンクリートと共に人工物の代表のようなアスファルトだが…
もちろんこれは天然のアスファルトで、現在の日本社会で見られるものとは違う。
接着剤に使えて防水性もあるこの有能な素材、天然のアスファルトは古代メソポタミアでは6000年前から使われていて、旧約聖書に出てくる「バベルの塔」はレンガをアスファルトで固めて作ったものだという。
三内丸山遺跡からはアスファルトの付いた石の矢じりが発見されている。
文明や文化のすべてにおいて縄文時代は弥生時代に劣っていた、なんてネガティブなイメージを払拭するのがこの遺跡。
稲作を伴う弥生時代より遅れた文化という縄文のイメージを変えたのが、同遺跡での大きな木柱の発見だった。弥生期最大といわれる吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県)の楼閣を上回る高さの建造物の跡とされ、大規模な定住集落の存在が明らかになった
コンクリートと共に人工物の代表のようなアスファルトだが…
想像してごらん。
5千年前の日本に約30メートルの高さの建造物があったことを。
だから弥生時代が縄文時代の上位互換だったわけではない。
縄文時代の人たちは死者を埋葬したり、イヌを家族同然に考えていたことはわかっている。
でもなんせ文字がなかった時代だったから、当時の記録はなく、縄文文化の様々なものの目的やそこに込められた意思はよくわからない。
縄文時代のミステリーといえば、なんつっても土偶でしょ。
農作物の豊かな収穫を地母神に祈るための人形、と解釈されることが多いけどこれも謎のままだ。
有名な「縄文のヴィーナス」
ということでことしの夏休みは、縄文時代の日本の生活や文化に出会う旅に出かけましょー。
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