雨期なのに「水無月」、神無月は「神のいない月」じゃない理由

 

静岡は、いまは晴れているけど、これから夜になると湿った雲が広がり明日は雨、しかも大雨が降って雷というオマケまであるらしい。
梅雨というのは雨期だから、これが日本の昔からのアタリマエ。
そんな今月6月は、江戸時代には「水無月」といわれていた。
ちなみに「づ」と「ず」を間違えて漢字変換すると、「皆好き」になるから要注意だ。

 

 

6月には水無月のほかにも「水月(すいげつ)」や、田んぼに水を張る「水張月(みずはりづき)」といった呼び方もあって、まぁそれは分かるんだが、水無月ってやっぱりおかしくないか?
これは気象や現実世界と矛盾している。
日本の一年の中で最も多くの雨が降るのがいまの時期で、雨の少ない1月や12月ならともなく、なんで梅雨のころを「水が無い月」とご先祖は呼んでいたのか?

そんな質問を日本語学校に通っていたタイ人からされたことがあって、困った挙句、「それより野球しようぜ」って言いそうになったことがある。
タイの天候は大きく雨期と乾季に分かれていて、雨期を「水無月」みたいに呼ぶことはないという。そりゃそうだ。
彼が通っていた日本語学校の授業で、先生が雨期を水無月と呼ぶ理由を生徒に考えさせて、「これ、日本人でも知らない人が多いんですよ」と聞いたから、彼はボクにそんな質問をしたらしい。

なるほどなるほど。
日本中の神様が島根県の出雲に行ってしまい、地元に神が不在になるから10月を「神無月」と言い、逆に神様が集まる出雲の国では「神在月」と呼ばれるのは合理的だから分かる。
では、なんで雨期なのに水無月なのか?

ネタバレすると、水無月の「無」は「ナッシング」ではなくて「の」を意味する連体助詞の「な」だから。
水無月で「ノーウォーター」ではなく、「水の月」という意味になる。
なんで「な」に「無」という漢字をあてたのかは知らない。
同じように神無月ももともとは「神の月」で、「神様が移動するから“神の無い月”」というのはあとからつくられた俗説だ。
この説は平安時代以降に出雲大社の御師(おし)が全国に広めたという。

 

6月(水無月)はほかにも、暑さを感じさせる「常夏月(とこなつづき)」や「炎陽(えんよう)」、涼しい風が吹くのを待つ「風待月(かぜまちづき)」という呼び方もある。
「弥涼暮月(いすずくれづき)」や「涼暮月(すずくれづき)」というのは、日が沈むと涼しくなることを表現したんでしょ。
セミの羽のような薄いものを羽織る「蝉羽月(せみのはつき)」というのもこの時期によく合う。
雷が多くなるから、「鳴神月(なるかみづき)」と言うこともあった。
ただの数字に比べると、昔の日本人は季節の変化に敏感で、感受性や表現力も豊かだったことが分かる。

 

 

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1 個のコメント

  • 雨が降り過ぎて天の水が無くなるからだったと記憶しているけど間違いだったかな。
    神無月は「信長の野望」で出雲は神有月と表示されるのがありましたな。何作目か忘れたけど。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。