【台湾砂糖の父】台湾人が一礼する日本人・新渡戸稲造

 

このブログでちょくちょく紹介している、台湾の観光情報を発信している「Hsu Hsu」さんが最近、こんな写真をアップした。

 

 

彼が深々と一礼しているこの日本人は一体だれなのか。

 

 

答えはこの人だった。

 

 

5千円でおなじみの新渡戸 稲造(にとべ いなぞう:1862年 – 1933年)は戦前の日本の教育者であり思想家だった人。
英語がペラペラの新渡戸は国際連盟の事務次長を務めた国際人で、『武士道』という本を英語で書いて、海外に日本人の価値観や精神文化を紹介したことで知られている。
ちなみに東京女子大学の初代学長でもある。

子どものころに明治天皇から、「農業に勤しむべし」といったことばをかけられた新渡戸は、それに感銘を受け農学を志すようになったという。

 

その後、農業の研究をしていた新渡戸はその知識を買われ、台湾総督府の民生長官だった後藤新平から台湾で技師をするよう依頼を受けた。

その後藤は日本のやり方を押し付けることはなく、台湾の事情をよく調査したうえで都市づくりを進めていった。
そんな彼の人柄や考え方はこのことばによく表れている。

「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである」

くわしいことはここをクリック。

後藤新平・「生物学の原則」に則った台湾統治

 

後藤からみて、新渡戸稲造は台湾の近代化に必要不可欠な人材だった。
ぜひこちらに来てほしいと頼まれた新渡戸は1日1時間は昼寝をさせてほしいという、よくわからん条件を出して受け入れる。
台湾にわたった新渡戸は、現地でサトウキビの生産や製造などについての意見書「糖業改良意見書」を出すなどして糖業の発展に大きな貢献をした。
そのことが現地の人たちに高く評価され、感謝の気持ちから「台湾砂糖之父」という新渡戸の胸像がつくられた。

それがこの写真。

 

 

ここを訪れた「Hsu Hsu」さんはこんなメッセージをしている。

【台湾砂糖の父】と称された日本国岩手県盛岡市出身の新渡戸稲造先生に一礼しました。

 

明治天皇も自分の一言がきっかけで、こんな大きな結果をうむとは思っていなかったに違いない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。