今回の話は南米の国・ベネズエラについて。
この国は日本のド反対にあって、歴史的な接点も「ありませんっ」と言っていいぐらいないから日本人には馴染みが薄い。
なのでまずはベネズエラのキホンを確認しておこう。
面積:912,050平方キロメートル(日本の約2.4倍)
人口:2,753万人(2019年)
首都:カラカス(首都圏人口290万人:2011年)
民族:混血51.6%,白人43.6%,黒人2.9%,アフリカ系0.7%,その他1.2%(2011年)
言語:スペイン語(公用語)及び先住民族の諸言語
宗教:国民の大多数はカトリック
数字は外務省ホームページ「ベネズエラ・ボリバル共和国(Bolivarian Republic of Venezuela)基礎データ」から。
広大な国土をもつベネズエラは日本にとって、原油、鉄鉱石、アルミニウムやカカオなどを輸入する大事な原料供給国で、ベネズエラにとって日本は自動車や機械類などを輸入する重要な貿易相手国となっている。
そんなベネズエラの国民的スポーツといえば野球。
日本で有名なベネズエラ人といえば、ラミレス、バリオス、カブレラ氏といった野球選手が多いから、ベネズエラは野球選手供給国でもある。
個人的にはいつかエンジェルフォールに行ってみたい。
落差約1000m、東京タワーの約3倍という、世界一の落差を誇るエンジェル・フォールには滝つぼがない。
落下する水が途中で霧になってしまうから。
ちなみに現地先住民族、ペモン族の言葉では「ケレパクパイ・ベナ(最も深い地にある滝)」と呼ばれている。
ベネズエラの歴史は大きく、コロンブスの前と後に分かれる。
コロンブス前のこの地には、カリブ人系のカラカス人やアラワク人などの先住民が住んでいたことは分かっているものの、彼らの生活・文化・宗教などについてくわしいことは不明だ。
文字がなかったからだろう。
1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到達(発見)し、1498年にヨーロッパ人として初めて現在のベネズエラの地域を訪れた。
豊かな水と熱帯雨林の深さに驚いたコロンブスは、スペイン国王への手紙でこの地を「恩寵の地(Tierra de Gracia)」と記す。
ヨーロッパ人に見つかっちゃったベネズエラはこのあとスペインの植民地となり、1811年に独立宣言をするまで自由を奪われた状態がつづく。
*このときの戦いの指導者シモン・ボリバルにちなんで、1999年に国名はベネズエラ・ボリバル共和国となった。
ただその後も解放戦争は行われ、スペインから完全独立を果たすのは1821年のカラボボの戦いに勝利したあとだ。
詳細は「ベネズエラの歴史」を。
コロンブスが到着した翌年の1499年、スペインからアロンソ・デ・オヘーダがやって来た。
駐日ベネズエラ大使館HPにある「歴史」には、彼がベネズエラの”名付け親”となったとある。
マラカイボ湖に続くコキバコア湾(ベネズエラ湾)に到着した。オヘーダは、水上に杭を立てて作った先住民の集落を見て、この地を「小ベネチア」という意味で「ベネズエラ」と名づけた。
ちなみに、このときオヘーダと一緒にいたのが「アメリカ」の由来となったアメリゴ・ベスプッチだ。
この地を訪れたヨーロッパ人は水上生活をしていた先住民の様子から、「水の都」と言われたイタリアのベネチア(ヴェネツィア:英語だとヴェニス)を連想したからそう名づけて、それが現在までつづいている。
日本でいえば、京都に似ている各地の都市を「小京都」と呼ぶようなのでしょ。
先住民がその地をなんと呼んでいたのかは、探しけれど見つからず。
「ベネズエラ(小ベネチア)」というヨーロッパ人の呼称が上書きされて、その前の記憶は完全に消去されたのだろう。
その点、エンジェル・フォールはラッキーだった。
この名称は20世紀前半、この滝を見つけたアメリカ人ジミー・エンジェルに由来する。
もし16世紀ごろ欧米人に見つかっていたら、「ケレパクパイ・ベナ(最も深い地にある滝)」というペモン族の言葉も残っていなかっただろう。
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~ベネズエラ政府がアマゾン原生林周辺の原住民族に対する保護地域の拡大を検討している事についてどう思うかと訊かれた時の返答がこれでした。