「もはやアニメだ神話だ」外国人から見た元日本兵・小野田寛郎

 

大正11年~平成26年まで3つの時代を生きた小野田 寛郎(おのだ ひろお)は、ひょっとしたら日本人より外国人のほうが知ってるかも。
まえに日本の大学に通うリトアニア人から、「この日本人を知ってる?」と小野田について聞かれたときそう思った。
東ヨーロッパの人が小野田 寛郎という元日本兵を知っていることに驚いたら、一緒にいたトルコ人もオノダを知っていたという奇跡。
トルコ人の価値観や考え方からすると小野田はあり得ない人間で、「もうアニメの設定としか思えない!」と言う。

でもこれは奇跡じゃなくて、海外でけっこうな話のようで、このリトアニア人は杉原千畝を知らなかったくせに小野田は知っていた。
といっても具体的な名前までは知らず、「30年間ジャングルで戦い続けたスーパー日本兵」といった認識だ。
大学にいる日本人学生に聞いても「だれそれ?」状態だったから、ボクに聞いてみたらしい。
昭和生まれのボクはもちろん、この「降伏しない日本兵」を知っている。

 

1945年8月15日、日本政府がアメリカに降伏して太平洋戦争は終結した。というのに、小野田らフィリピンにいた日本兵のグループはそれを知らず、その後に日本降伏の情報を聞いてもそれを信じないで、米軍との“戦闘”を継続。
ベトナム戦争でフィリピンの米軍基地から飛び立つアメリカ軍機を見て、小野田は「戦争はまだ終わっていない!」と確信したとか残念な誤解があった。

それでも終戦から29年後、1974年になって小野田はやっと降伏を受け入れてジャングルから出てきた。
このとき彼は処刑されると思ったらしい。
でも、フィリピン軍の司令官は「軍隊における忠誠の見本」と称賛し、マラカニアン宮殿で行われた投降式では当時の大統領も小野田を高く評価した。

マルコス大統領も出席し、小野田は降伏の証として白布を巻いた軍刀をマルコスに差し出したが「もう戦争は終わった」と即座に返還。その際、マルコス大統領は小野田を「英雄」「立派な軍人」と評している。

小野田 寛郎

マルコス大統領に軍刀を差し出す小野田。
彼は当時、世界で最も有名な日本人だったかも。

 

英語版ウィキペディアには彼の項目が作られていて、くわしい説明がある。
上の投降式について、小野田はライフルと500発の弾薬と手榴弾、それと「敵に捕まったらこれで死になさい」と母親から渡された短剣を差し出したとある。

He turned over his sword, a functioning Arisaka Type 99 rifle, 500 rounds of ammunition and several hand grenades, as well as the dagger his mother had given him in 1944 to kill himself with if he was captured.

Hiroo Onoda 

 

小野田の現実離れした生き方を、「もうアニメの設定としか思えない!」というトルコ人の見方に近い外国人はよくいる。
つい最近も、この元日本兵に魅力を感じたフランスの映画監督アラリ氏によって映画化された。

共同通信の記事(2021年7月10日)

アラリ監督は2013年ごろ、父親との会話をきっかけに小野田さんの物語に心を奪われたという。「誰もが興味を引かれる神話のような力がある。かつ、自分の内なるところで共感できる何かがあった」

人間とはなにか 元少尉描く「ONODA」カンヌで喝采

 

「小野田さんの物語を描きたいということもあったけれど、その先にある国や文化を越えた物語、人間とは何か、人間性の根幹に関わる普遍的なものを描きたかった」とアラリ監督が語る。
トルコ人にとっての「もはやアニメ」は、フランス人監督の言う「神話のような力」だろう。
この不思議な魅力は観客にも伝わって、第74回カンヌ国際映画祭で上映されたときには、数分間にわたってスタンディングオベーションが続いたという。

ただ潜伏生活のあいだ、フィリピンの民間人を殺害したこともあるから、マルコス大統領や軍司令官が「英雄」と言っても、そうは思わない人もフィリピンにはいる。

でこれに日本のネットの声は?

・たしか帰国後 拝聴した軍刀を陛下に返却したんだよね (´・ω・`)
・たけしが対談したあとに”言えないようなこといっぱいあってさ”って北野ファンクラブで言ってたな
・小野田vsランボーが観たい
・じじい多いな
若者はそんなことがあったのも知らん
・小野田さんが会社に5人居たら
天下取れる

ネット上には、上官の命令がないと帰らないというランボーの元ネタがこの話で、小野田を「リアルランボー」と呼ぶ人もいる。

2014年に亡くなったとき、ニューヨーク・タイムズは、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」、「日本人には義務と忍耐(の尊さ)について知らしめた」と評した。
でも令和のいまでは日本人の記憶から薄れていって、小野田は海外のほうが有名かもしれない。

 

 

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1 個のコメント

  • 帰国後、マスコミので日本から出て行った事まで詳細に描いていればさらに価値は上がっただろうと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。