アフガニスタンの女性、昔今:黄金期とタリバン政権下での悪夢

 

「アフガン人(パシュトゥーン人)の土地」を意味するアフガニスタンは、いまではタリバンの支配する「タリバンスタン」になってもた。

ちなみに日本で全国展開している「バーミヤン」の店名は、ここにあった都市に由来していたりする。

中華料理店なのに、アフガニスタンの古都“バーミヤン”の理由

 

過激なイスラム主義でテロ組織でもあるタリバンによって、これから始まるアフガン統治。
それでまず間違いなく、ひどい目にあわされるのがこの国にいる女性だ。

ただ、国内の敵を倒して政権を握ったタリバンには勝者としての余裕があるし、今後の政権運営を考えたら国民からの支持は不可欠。
ということでタリバンはおびえる住民に「心配する必要はない」と呼びかけ、自分たちへの支持を訴えた。と同時に、これからのアフガニスタンは「イスラム法を採用した政府で、民主主義的な制度は一切存在しない」と明言する。

国民の権利や自由を尊重する意思がないのは地方において特に顕著で、北部のある都市ではタリバンの戦闘員が突然やってきて、その家にいた主婦に「50人分の食事を作れ」と要求する。
裕福な家ではないけれど、タリバン相手に「拒否権」なんてものはなく、肉や野菜などを大量に提供するしかなかったという。

タリバンに制圧された地から首都カブールに避難してきた人の話では、彼らは民家や学校などに放火するなど「タリバンの暴虐ぶりは昔と変わっていない」という状態だ。
実際、降伏した政府軍兵士の処刑が確認されたり、戦闘で夫を失った女性や12歳の少女にまで結婚を強要するタリバン戦闘員もいたという。
いまアフガニスタンから伝わる情報は重くて暗いモノばかり。

読売新聞の記事(8/15)

国連のアントニオ・グテレス事務総長は13日、ニューヨークで記者団に、「アフガンの少女や女性が苦労して得た権利を奪われている。胸が張り裂けそうだ」と語り、タリバンを非難した。

民家や学校に放火、12歳少女に結婚強要…タリバン支配地で蛮行目立つ

 

タリバンがこの国を統治するのは、1996年につづいてこれで2度目。
このとき首都カーブルを制圧したタリバンは元大統領のムハンマド・ナジーブッラーを公開処刑して、「アフガニスタン・イスラム首長国」の建国を宣言する。が国際社会の支持は広がらず。

このころ音楽や映画を禁止したタリバンは、見せしめや市民の“娯楽”として公開処刑を日常的に行っていて、1万人の見物客がこれを見るために集まることもあったといわれる。
タリバン時代には女性は学校で学ぶことも社会で働く事も禁止され、親族の男性が一緒でなければ外に出ることもできなかった。
おまけに外出時には、顔や全身を覆う「ブルカ」の着用が義務付けられた。

タリバンが君臨していた1996~2001年の5年の間、判事だったある女性は首都カブールで自宅に閉じこもる生活をさせられた。
パンを買いに行くにも家に男性がいないから、外出することができない。
だから近くに住んでいた4歳の男児の母親にお金を渡して、その子に付いてきてもらってパンを買いに出かけたという女性の話が毎日新聞の記事にある。(2021/8/22)

4歳男児に外出同伴を願った日々 タリバン復権に恐怖よみがえる女性

 

ブルカを着ている女性を棒で殴るタリバンの宗教警察(2001年8月26日)
出典:RAWA

 

タリバンが支配する「アフガニスタン・イスラム首長国」は、アメリカの支援を受けた北部同盟によって2001年に倒され消滅。
でも、市民や女性が再び手に入れた自由や権利は20年しかつづかず、今月8月にまたカブールがタリバンに制圧され、住民は悪夢の再来に恐怖しているところ。

カブールに暮らしていて韓国メディアと連絡を取っていた10代の女性は、

「怖い。ここからどうやって脱出し、どこへどのように行くべきかということばかり考えている」
「タリバンが路上にいて家からも出て行けない。」
「今日はタリバンがカブール空港で8人を、カンダハルで4人を殺したという。本当に怖い」
「タリバンがアフガニスタンの女性と結婚するという。夫がいるかどうかに関係なく、12-45歳の女性がその対象だと聞いた」

というメッセージを送ってから、いまは連絡が取れないと中央日報日本語版が伝える。(2021.08.20)

「怖い、もうすぐインターネット遮断される」…21世紀カブール版「アンネの日記」

 

もはや抵抗はムダ・無意味。
これから始まるタリバン統治を見越して、ブルカを購入する女性が急増し、価格は1着約300円から最大で約4200円にまで値上がりしたという。

ハンギョレ新聞の記事(2021-08-18)

ブルカの価格が15倍に…タリバン「恩赦令」発するも恐怖広がる

 

市民としての権利を奪われた、あの不幸な時代に逆戻りする懸念の強いアフガニスタン。
でも、「黄金期」と呼ばれる1963~1973年には女性が教育を受けることができて、政界への扉も開かれていた。
ミニスカート姿で遊びに行くことも可能だったのだ。
海外からの投資も多く、都市には近代的なビルが登場したし、自然や遺跡のあるアフガニスタンは観光地として世界的にも人気を集めていた。
まさに「ゴールデンエイジ」。

 

 

ブルカと無縁の生活だったのに、支配者が変わるとこうも変わる。

 

出典:RAWA

 

これからまた悪夢の日々が始まることに恐怖した市民は、アフガニスタンから脱出するため空港に押し寄せていまはカオス状態が現出している。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。