アメリカ人とイギリス人と愛知県にある山でハイキングをした帰り、「お腹減ったよねー」とうことでファミレスへGO。
席に座って料理をオーダーしたあと、イギリス人がテーブルにあったこれを見つけて「え?」という顔をする。
「これは日本人を対象にしたモデルの募集だろ?なのになんで白人の女の子なんだ?」
その疑問の答えは「白人コンプレックス」だろう。
日本社会には「白=美」という固定観念があって、特に白人女性・男性にあこがれる残念な傾向がある。
10年ぐらい前までは、特に化粧品のCMで白人女性がよく起用されていて、白を美の象徴とする見方が強くあったと思う。
でも日本のいろいろな価値が見直されたり、国際社会における欧米の影響が力が低下したことなどで、白人を崇拝するような風潮もなくなっていった。
でもやっぱり日本には、まだ西洋人へのコンプレックスがあるようだ。
某調査記事では「日本人女性の6割は日本人として生まれたくなかった」と回答したり、「日本人は白人に誉められると気持ち良くなる傾向にある」という調査結果が出るなど、未だに根強い。
これが理由でないとしたら、日本のファミレスで日本語で説明しているモデル募集の広告で、あえて白人の女の子を選んだ理由を知りたい。
白人モデルばっかの東京ファッションショー
画像:Tokyographer
広告の写真に対するアメリカ人とイギリス人の反応は、良いとは思わないけど自分たちには関係ないからまあどーでもいい、といったもの。
とはいえ白人をモデルにすることには違和感があるし、1人だけじゃなくてせめて日本人のモデルと一緒に写っていればよかった。
だからこの写真に共感は感じないけど、そんなに悪いものとも思わないという。
これがきっかけで、アメリカ人が友人のイギリス人女性から聞いた話を思いだした。
その白人女性がインドネシア人とカフェで食事を頼んで待っていると、日本人男性のオーナーがやってきて写真を撮らせてほしいと言う。
店のSNSに宣伝として使わせてもらう代わりに、食事はタダにするという条件で。
「ラッキー!」と2人は快諾して、ではとオーナーがスマホをかまえると、なんか構図がおかしい。
そのオーナーは白人女性だけを撮ろうとしていたのだ。
この日本人の意図がわかって、イギリス人女性は2人で撮ってほしいと頼む。
「分かりました」とすぐに応じればよかったけど、「え?」とオーナーがためらったのを見て女性は撮影を拒否、しっかりお金を払って店を出て行った。
後日そんな話を先ほどのアメリカ人にして、「ありえない!信じられないほど失礼な行為で、友人を傷つけてしまった。二度と行かない」と怒りをぶちまけたとか。
ファミレスにいたイギリス人もこの話を聞いたときは、怒るというより心底あきれた。
2人とも日本に住んで長いから、日本人が同じアジア人より、白人を尊重したり優先するような言動を何度か見たことがある。
そんな白人をチヤホヤするような日本人は2人とも嫌い。
いま世界的には「白=美」という画一的な見方から抜け出して、いろんな観点から「美しい」を定義しようとしている。
多国籍企業のユニリーバが最近、日本で販売する化粧品から「美白」の文字を削除したのはそのあらわれだ。
ハンギョレ新聞の記事(登録:2021-09-14)
ユニリーバ、「人種主義」との批判受け「美白」関連表現を削除
白人や白色の肌を「美しい」と考えるのは人種差別、とはまでいかなくても「人種主義である」という指摘を受けて、ユニリーバは「美白」と「ホワイト」の表現を商品から消すことにした。
ただジョンソン・エンド・ジョンソンやロレアルといった企業では、「美白」を削除する予定はないという。
それはこんな理由で。
これらの企業は消費者が「美白」を必ず肌を白くするという意味として受け取っておらず、シミを取り除いたり、肌のトーンを均一に整えるものと理解していると主張する。
もちろん、「白は美しくない」というのがいまの流行りというわけじゃなくて、それはいろいろある美しさのひとつというだけで、「美白」を特別視してはいけないということ。
そんな視点からすると、あの写真を見て「人種主義」と感じる外国人は多いかも。
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三島由紀夫「日本人には威張り、外国人にはヘイコラするというのが、明治初年の通訳から、戦後占領時代の一部日本人にいたる伝統的な精神態度でありました。 これが一ぺん裏返しになると、外国人を野獣視し、米鬼撃滅のごとき、ヒステリックな症状を呈し、日本を世界の中心、絶対不敗の神の国と考える妄想に発展します。
外国人と自然な態度で付き合うということが、日本人にはもっともむつかしいものらしい。 これが都市のインテリほどむつかしいので、農村や漁村では、かえって気楽にめづらしがって、外国人を迎え入れます。」
出典:「不道徳教育講座」(1960年)